出版社内容情報
横町の奥の崖下にある暗い家で世間に背をむけてひっそりと生きる宗助と御米.「彼らは自業自得で,彼らの未来を塗抹した」が,一度犯した罪はどこまでも追って来る.彼らをおそう「運命の力」が全篇を通じて徹底した〈映像=言語〉で描かれる.『三四郎』『それから』につづく三部作の終篇. (解説 辻 邦生・注 石崎 等)
内容説明
「誠の愛」ゆえに社会の片隅に押しやられた宗助とお米は、罪の重荷にひしがれながら背をかがめるようにひっそりと生きている。宗助は「心の実質」が太くなるものを欲して参禅するが悟れない。これは求道者としての漱石じしんの反映である。三部作の終篇であると同時に晩年における一連の作の序曲をなしている。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
藤月はな(灯れ松明の火)
103
世から忍ぶものの仲睦まじい夫婦。世間体には仲良さそうにするが、家に入ると気紛れからの怒鳴り声と無視と緊張に支配された家族を知っているからこそ、初めは宗介と御米の関係が羨ましかった。でも彼等に子供が出来ない訳を易者から知らされたという事から一転。世間から逃れても「はみ出してしまった」という罪悪は付き纏う。その罪悪があるからこそ、自分の心に従って手に入れた幸福すらも途端に味気のないものと化してしまう。その事は自分を愛してくれている者の真心を裏切るのに…。一歩、踏み外せば奈落に落ちるような事は人生に多すぎる。2017/12/08
優希
90
岩波文庫で再読です。運命の力を感じざるをえませんでした。仲睦まじい夫婦である宗助と御米。ただ、その日々は世間に背くようなひっそりとした生活であることに違和感をおぼえます。子供ができない理由や2人の馴初めを知ると、そこには罪が介在していることが、嫌でも見えてしまいます。一度犯した罪はどこまでも迫ります。その「門」は生涯くぐることができない門なのでしょう。2018/04/16
ハイカラ
57
社会から逃れて慎ましく暮らしていようとも、罪や過去はどこまでもいつまでも追ってくる。逃げ切ることは全く不可能で、宗教にすがろうとも解決には至らない。話の最後で春が来て、平穏な日常が戻った感じだけれど、宗助自身が言っているようにまた冬が来て心乱される日々に戻るのは確実だろう。開き直って罪悪感を捨てないと幸せになれない人間もいるんだなぁ。2016/07/21
Y2K☮
55
中島みゆき「浅い眠り」とリンクしまくる切なさ。安井と同棲(結婚も?)していた御米との道ならぬ恋の代償に親友と自分達の未来を閉ざした宗助。町の片隅の崖下で肩を寄せ合って生きる夫婦はだが決して不幸ではない。諦観に達した人ならではの美しささえ感じる。だが崖上で優雅に暮らす坂井を「宗助の本来なる筈だった姿」と捉えて対比すると何とも残酷。しかも過去はどこまでも追ってきて夫婦の神経を脅かす。救いを求めて禅寺へ逃げても容易に悟れる程甘くない。道徳よりも自然に従った末路。漱石はでもこういう人生にどこかで焦がれていたのか。2015/11/25
ころこ
39
宗助が漢字をみて、ゲシュタルト崩壊について御米に話しかけます。その文字が「今」だというのが象徴的です。本作は、過去に記憶が遡るだけで、話は一向に進みません。夫婦の気持ちは、「今」にないからです。「お金」の話が三部作に共通しています。遺産を親戚に横領された話は、『こころ』と同様です。幼かった弟・小六には過失は無いが、確認しなかった宗助には過失があります。表向きの快活さに比して終始異様なのは、この小六の存在です。暫く会わない内にお互い打ち解けられなくなった小六を、近いが故に自らが抑圧されたものを回帰させる「不2020/01/18