出版社内容情報
親友の安井を裏切り、その妻であった御米と結ばれた宗助は、その負い目から、父の遺産相続を叔父の意にまかせ、今また、叔父の死により、弟・小六の学費を打ち切られても積極的解決に乗り出すこともなく、社会の罪人として諦めのなかに暮らしている。そんな彼が、思いがけず耳にした安井の消息に心を乱し、救いを求めて禅寺の門をくぐるのだが。『三四郎』『それから』に続く三部作。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
658
漱石の長編では、最も日常的な時間の中で展開する。『三四郎』、『それから』とともに前期三部作を構成するが、とり わけ直前の『それから』との関連は深い。『それから』の主人公、代助は友人平岡常次郎の妻である三千代との生活を選んだように、『門』でも宗助は友人の安井からお米を奪い、彼女と結婚生活を送る。この「罪」の意識が彼ら夫婦(とりわけ宗助)を苦しめるのである。彼らの日常は漱石の作品にしては珍しくも互いに労わり合う関係にあり、日常的には幸福である。そこに射す影が、過去の「罪」である。それは10日間に及ぶ参禅でも⇒2020/12/09
まさにい
224
人は生きていくことによりそれなりの波風を経験する。宗助と御米の波風は明治の時代では大きいものではあった。人は生きてさえいれば、波風のよけ方を学ぶ。あくまでよけ方であって、波風そのものを無くすことは出来ない。その後の宗助と御米の生活そのものである。そんな人生において、淡々と仲睦まじく生きていくことは幸せの一つの形であると思うのだが。何故なら、人生は答えのない生を全うすることにあり、大なり小なり波風はいつも付いて回るものなのだから。2016/09/29
優希
168
ほどよく枯れた雰囲気、夫婦の寄り添う姿が情景として目に浮かぶようでした。親友を裏切ってその妻と結ばれるのは罪ですが、社会の罪人として慎ましく暮らしているのが刺さります。淡々としながらも燃えるような恋をし、それに報いるように宗助と御米は世を捨てたのかもしれません。それは閉鎖された穏やかさと言えるのではないでしょうか。安井の消息を耳にし、心を乱して禅寺の門をくぐる宗助ですが、それが救いに繋がったのかは疑問です。傍観と贖罪の中で微笑む2人が印象的でした。春を喜ぶ御米と冬が来ると言う宗助が暗示的な気がします。2015/09/18
Kajitt22
158
貧しくも慎ましく、仲むつましい夫婦の生活を淡々と描きながらも、不穏の影を感じさせる前半。明治の東京言葉がテンポよく魅力的。徐々に明かされる二人の過去。影を払拭できぬまま、元の生活を続けていく二人。明治と戦後の昭和、時代は違うのに漱石を読んでいると小津安二郎の映画の場面が現れる。『二百十日』のセリフの繰り返し、からりとした『三四郎』の広い空の白い雲、そして『門』の慎ましい二人の会話。小津は漱石の熱心な読者であったに違いない。2017/10/06
のっち♬
157
世間から隠れて妻と暮らす宗助は、裏の大家の口からかつて妻を奪った旧友の名を聞かされる。身を焦がした青春の赤い燄も黒く変色させる役所勤めの家庭の「親和と飽満と、それに伴う倦怠」が確かなリアリティで描かれ、中でも子供をめぐるやりとりや参禅行きを隠す様、ラストシーンなどは夫婦間の微妙な心の溝を浮き彫りにしている。躍動と力感を欠いた展開や暗い色調は著者の肉体的衰弱の反映だろうが、「この影は本来何者だろう」という問いがその後の大きなテーマになった意味でも本作は一つの転換点と言えるだろう。漠とした不安が充満する一冊。2021/08/18