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日本映画論 1933‐2007―テクストとコンテクスト

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  • サイズ B6判/ページ数 432,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784000242837
  • NDC分類 778.21
  • Cコード C0074

出版社内容情報

イデオロギーへの従属を免れえない映画作品と、芸術的革新によって従属からの離脱をはかる映画作家。一五〇余に及ぶ具体的な作品の分析を通して、旧来の映画史が決して見ることのなかったテクストの多様な連鎖を描き出し、日本における芸術とイデオロギーの照応と断層を織りなすコンテクストを浮かび上がらせる。

内容説明

イデオロギーの呪縛を免れえない映画作品と芸術的革新によって呪縛からの離脱をはかろうとする映画作家。旧来の映画史が見なかったテクストの複数の連鎖を描き出し、芸術とイデオロギーが織りなす複雑なコンテクストを浮かび上がらせる。

目次

アヴァンギャルド映画と古典的ハリウッド映画の融合―内田吐夢『警察官』(一九三三年)
白人コンプレックスを内在化する日本映画―村田実『霧笛』(一九三四年)
映画はミディアム・クールである―五所平之助『人生のお荷物』(一九三五年)
さんざめく光のなかで―清水宏『有りがたうさん』(一九三六年)
それでも世界はつづいてゆく―山中貞雄『人情紙風船』(一九三七年)
戦線における人間的真実―田坂具隆『五人の斥候兵』(一九三八年)
視線の集中砲火―溝口健二『残菊物語』(一九三九年)
救癩という名のイデオロギー装置―豊田四郎『小島の春』(一九四〇年)
未練がましいクロースアップ―山本嘉次郎『馬』(一九四一年)
検閲と削除―伊藤大輔『鞍馬天狗(横濱に現る)』(一九四二年)〔ほか〕

著者等紹介

加藤幹郎[カトウミキロウ]
1957年、長崎市生まれ。筑波大学比較文化学類卒業。同大学院博士課程文芸・言語研究科単位取得満期退学。映画批評家、映画学者。京都大学大学院人間・環境学研究科教授。博士(人間・環境学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

メルセ・ひすい

2
15ー109 本書は「日本映画史」ではない―!…時に映画作家は芸術的革新を通じて、支配的イデオロギーの呪縛からの離脱を図りうる。その呪縛と離脱のプロセスは、けして単線的な歴史でなく、時に前進また後退しながら、芸術とイデオロギーの照応と断層を垣間見せるだろう。この書は編年体を装いつつ、多様なテクスト分析を試みる。150余に及ぶ具体的な作品の分析を通して、旧来の映画史が決して示すことのなかったテクストの多様な連鎖を描き出す。日本における芸術とイデオロギーの照応と断層を織りなすコンテクストを浮かび上がらせる2012/01/03

koji

1
大部なので、内田吐夢「警察官」と深作欣二「軍旗はためく下に」以降を読みました。「ハッとする」個所と(立教大(蓮實重彦が在籍していた時)が実験的映画監督(青山真治、周防正行、黒沢清、万田邦敏、塩田明彦)に与えた影響、70年代の暴力と性が世界の映画潮流と異なる作風を育てたこと、2005年頃日本の有力大学で映画学が整備され(映画学の)博士号取得者が増えたこと等)、「とっつきにくい」個所(表現が抽象的、カルトムービーの取り上げ等)が交錯する不思議な評論というのが正直な感想です。2012/01/15

midnightbluesky

0
一般的に芸術性の高い映画『絞首刑』等はそれなりに評論しているのに対し、娯楽性の高い映画はさほど解説していないので(取り上げてはいるものの)、やはり評論の限界があるということなのであろうか?2012/01/25

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