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岩波現代文庫
近衛文麿―教養主義的ポピュリストの悲劇

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  • サイズ 文庫判/ページ数 366,/高さ 15cm
  • 商品コード 9784006002183
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0121

内容説明

戦前の人気政治家は、戦争の時代にいかなるリーダーシップを発揮したのか。三度も宰相を務めながら、なぜ日本を破局の淵から救えなかったのか。近衛の栄光と挫折を、教養主義とポピュリズムとの連関から究明し、大衆社会状況下のマスメディアのイメージ戦略に注目して考察した待望の書き下ろし。岩波現代文庫オリジナル版。

目次

はじめに 近衛文麿の「悲劇」とは何か
誕生と学習院
一高と教養主義
京都大学「白川パーティ」
「英米本位の平和主義を排す」とパリ講和会議随員
貴族院議員としての活動1―「左傾化する貴族たち」
貴族院議員としての活動2―二大政党対立時代と「グレーの風格」
貴族院副議長・議長―満州事変、五・一五事件
訪米と近衛ファミリー
二・二六事件前後
第一次近衛内閣の展開―盧溝橋事件から「東亜新秩序声明」まで
枢密院議長―平沼・阿部・米内内閣期
第二次近衛内閣―三国同盟から松岡洋右外相との確執まで
第三次近衛内閣―南部仏印進駐・頂上会談構想・九月六日御前会議
太平洋戦争下の近衛
東条内閣打倒工作と「近衛上奏文」
戦後の近衛―東久迩宮内閣・マッカーサーと新憲法・戦犯指名と自殺

著者等紹介

筒井清忠[ツツイキヨタダ]
1948年大分県生まれ。京都大学文学部卒業。同大学院博士課程修了。日本近現代史・歴史社会学・日本文化論。奈良女子大学助教授、京都大学教授等を経て、帝京大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

姉勤

40
正直に言えば、敗戦直後の国民同様に、戦争犯罪人に石を投げたい気持ちで本書に手を伸ばしたところはある。そして、戦前も戦後もこの「国民」はなんら変わっておらず、80年近く経った今もなんら変わらず生き続けている、と。その国民とは、軍部やマスコミに煽られたのではなく、自ら戦争を要望し、戦勝に狂喜し、敗れれば勝者に媚び、己の屈辱を与えたものを草の根分けても探しだし、死を与えた。ポピュリズムという総意を以て、戦前を封印した戦後。まだまだこの時代の未理解さを実感する。一生理解できないかもしれない。近づいては行くつもり。2023/06/30

かんがく

13
タイトルにある通り近衛を「教養主義的」「ポピュリスト」ととらえる。教養主義ゆえに、社会主義も国家主義もアジア主義も取り入れた折衷主義となり、政治的基盤の弱さゆえに、メディアを利用したポピュリズム的政治を行った。戦前の対米開戦回避、戦中の和平工作などから、再評価を行うが、第一次近衛声明と米内内閣倒閣については擁護が出来ないと思う。松岡を早く更迭していれば、という論は確か。まだ未熟な青年を総理大臣にしてしまったことには、政党や軍部、そして国民の責任もあるだろう。近衛の魅力が背景とともによくわかる評伝だった。2019/10/23

あんころもち

11
五摂家出身の「貴族」である近衛はモダン性、復古性を併せ持ったスターであった。「華冑界の新人」として各層に熱狂的に迎えられ、その人気を背景に政治家として活動した。一方でその熱狂的人気は近衛の政治活動を束縛するようになる。国民の強硬世論に流され、自身もまた「国民政府を対手とせず」声明などで火に油を注いでいく。このような事態は今でも変わらないであろう。単純な善悪二分論と「改革」が流行する時代である。教養主義と若干のポピュリズムが両立させる、池上彰的政治家が求められているように思われる。2015/06/21

masabi

9
【概要】ポピュリズムの観点から近衛文麿の生涯を追う評伝。【感想】戦前は開戦を、戦後は戦争回避を決断できなかったと謗られたが、政治家として優れていたようだ。不決断も世論を政権基盤としたために世論の反感を買う決断に躊躇したのが実態だ。毒には毒で制すかのような采配や決断の遅さはともかくとして、政党、官僚、軍部のいずれにも属さず世論を背景とした政治家の宿命にも思える。情報操作を駆使した積極的なイメージ戦略よりも世論の盛り上がりに乗った印象が強いので、顛末は悲劇的だ。2021/07/19

anarchy_in_oita

8
大衆を頼んだが故に盧溝橋事件の処理を誤り、泥沼の日中戦争に突入していったこと、松岡洋右を更迭し対米戦争の回避に尽力するという決断が遅きに失していたこと。平時ならせいぜい総辞職すれば済んだであろうが、あまりにも時期が悪かった。戦前は圧倒的な支持を受けた近衛ではあるが、戦中は開戦しなかったことの優柔不断を批判され、戦後は開戦したことの責任を負わされ自決に至ったというあまりに悲しい彼の一生は、政治家という生き方について多くの示唆を与えてくれると思う。決して政治家としての彼は肯定し得ないが、同情を禁じ得ない…2020/06/02

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