内容説明
近代世界の誕生を告知した不朽の名著『方法序説』。ルネサンスの黄昏に天動説的コスモスの崩壊を目撃したデカルトは、カオスと化した世界を手探りで進み、ついに近代という新しい世界の原理を探りあてた。謎のバラ十字団を追う青春彷徨と「炉部屋の夢」を追体験し、『方法序説』に結実したデカルトの精神のうちに近代の生誕のドラマを再現する。
目次
1 ワレ、イカナル人生ノ道ヲ歩ムベキカ(ラ・フレーシュ学院;ベークマンとの出合い;バラ十字団を求めて;ドナウ河畔の冬;三つの夢;方法としてのアレゴリー;「炉部屋」を出て―コスモスの崩壊)
2 ワレ思ウ、故ニワレ在リ(炎の自由思想;一六二三年、パリ;九カ月の形而上学研究;ワレ思ウ、故ニワレ在リ;宗教と科学の間)
著者等紹介
田中仁彦[タナカヒトヒコ]
1930年生まれ。東京大学文学部仏文科卒。上智大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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松本直哉
30
方法序説の悟りすましたような中年のデカルトではなく、薔薇十字団や自由思想家(リベルタン)など、スコラ的カトリックの秩序に異を唱える人々の活躍した17世紀初頭の思想的背景の中で彼らに積極的な関心を寄せる青年デカルトの夢と彷徨がダイナミックに描かれている。ルネサンスの終焉のあとの闇夜のような懐疑主義に自らも覆われながら、一条の光のような哲学の原理に行き着くまでの曲折。科学的真理と信仰の両立を疑わないところに彼の限界があったと思うけれど。2017/11/05
蛸
11
「近代の創始者」としてではなくルネサンスの黄昏の中から生まれた哲学者としてデカルトを捉えた一冊。近代以前との断絶、ではなくそこからの連続性に着目することで新プラトン主義者としてのデカルトが見えてくる。特にフィチーノの思想がいかに彼に影響を与えているかという箇所が興味深かった。 懐疑主義が吹き荒れる当時のフランスにおいてその懐疑主義の闇をギリギリまで突き詰めたことで得られた「コギト・エルゴ・スム」という一筋の光。哲学史上屈指のパンチラインが生まれた背景がよくわかる兎に角面白い一冊。2018/09/06
暗頭明
7
これまでのデカルト研究の権威に反論する書(1989年)。しかしながら「本書がはっきりとその誤りを明らかにした諸権威は今なお相変わらず健在」(2014年の文庫版あとがき)とあり、要はデカルト研究において本書は傍流に位置するの謂だろう。別件:「ロディス=レーヴィスがある面白い指摘を行っている。彼女によれば、conscientia(conscience)という語を個人の意識という意味ではじめて用いたのはデカルトだというのだ」(p.329)とあってこの後一ページほど作者の見解が続くが全く的を外しているのではと。2017/12/31
瀬希瑞 世季子
2
デカルト哲学を新プラトン主義の系譜の中に置き、デカルトの哲学が中世的価値観との決別でなく、その完成のためにあったことを示す。デカルトが望んでいたのは、宗教と科学の分離ではなく、それらの統合にあったのだ。デカルトも、当時の価値観の中で生きてきた人間だということが分かる。2023/01/19
羊のぼう
2
デカルトは近代哲学の出発点だが、デカルト自身は中世的価値観の中で思索を行った。17世紀の社会背景や思想を丹念に洗い出し、デカルトがいかに当時の新プラトン主義やパリのリベルティナージュ、ルネサンス崩壊後のマニエリスムの影響下にあったかを描き出している。通説のデカルト理解では、「神の存在証明」が全くの蛇足、あるいは前近代の残滓としてしか扱われないが、本書ではデカルト哲学を新プラトン主義として捉えて、一貫した理論の下で説明している。デカルトの印象が180度変わってしまった。。。2022/06/05