出版社内容情報
夫人がどのようにして日本に亡命し、こうして悠々と暮らしておられるのか、私はついに知らない。アジアの人とつきあうには好奇心からの質問をしないのが、最低の作法である。どのようにして日本に亡命されたのかは、四半世紀のあいだ、私はついにうかがわなかった。仮にうかがっていても、ここに書かないだろう。
私は必ず「Yプイン(夫人)」と呼んで、決して「オモニ(母)」とか「ハルモニ(おばあさん)」とは呼ばなかった。そこに四半世紀のつきあいにも狎れない一線があった。実の母とは夫人とのように深い話をしたことはなかったが、そもそも親子とはそういうものかもしれない。夫人も、わが子には普通の「チマ・パラミ・オモニ(教育ママ)」ではなかったか。実の子ではありえない出会いであった。
(「Y夫人のこと」 1993)
私には一つひとつの精神病院が違った下位文化に見える。病院ごとに匂いが違い、職員の「顔」が違い、何よりも患者の「顔」が違う。病院の「質」の判定は、建物よりも何よりも患者の「顔」が雄弁に、正直に物語っていると思う。
(「治療文化論再考」 1994)
表題作はじめ、「精神科医がものを書くとき」「顔写真のこと」「ある少女」「精神病棟の設計に参与する」ほか32編を収録。
内容説明
ある老婦人との交友を緒として自らの過去を幾層にも織りなした「Y夫人のこと」ほか、「精神科医がものを書くとき」「ある少女」「精神病棟の設計に参与する」等32編。
目次
精神科医がものを書くとき
隣の病い
国際化と日の丸
顔写真のこと
精神医学と階級性について
私に影響を与えた人たちのことなど
精神保健の将来について
統合失調症の陥穽
一夜漬けのインドネシア語
「疎開体験」に寄せて―佐竹調査官への手紙から〔ほか〕
著者等紹介
中井久夫[ナカイヒサオ]
1934年奈良県生まれ。京都大学医学部卒業。神戸大学名誉教授。精神科医(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。