内容説明
なぜ、わたしたちは“音楽”から“生きるよろこび”を得るのか?現代の多文化社会で、音楽はいかにして他者理解を可能にするのか―音楽を「生きのびるための叡智」として再発見し、“実践としての音楽”を問う気鋭の論考。
目次
第1部 ケアとして考える(コト的アプローチ―「音楽の力」をめぐって;ミュージッキング再考―“語り”とケア)
第2部 文化として位置づける(“プレリュード”―音楽と“語りなおし”;知覚・認識・記憶―音楽文化と身体;“Living Togetherラウンド”―音楽的儀式とメモリーワーク)
第3部 アートとして再定義する(音楽とフェティシズム―価値とコミュニケーションへの新たな視座;芸術実践のポリティクス―芸術・ケア・文化への新たな視座)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
金城 雅大(きんじょう まさひろ)
32
理論編はリーダビリティを意識しない学者感がすごかったのだが(笑)、音楽と身体感覚との関連を説いた第4章「知覚・認識・記憶」はとても興味深かった。 ハビトゥスという概念は初耳だった。 核心として鷲田清一氏の「語りなおし」を引き、これを音楽にも当てはめられるのではないかという考察を展開しているが、この「語りなおし」が意味するところって、言語にとってはまんま「執筆活動」だよなぁ。これ、本を書く際の強固なモチベーションになりうるんじゃないだろうか。2019/12/02
鳩羽
3
音楽をモノではなくコトとして捉えることで、音楽、ひいては芸術の持つ力・価値・可能性について光を当てていく。音楽はパフォーマティヴなものであるから、その都度異なる聴衆に異なるメタナラティブが自然と発生し、その語りなおしによってコミュニティケアの効果が現れる(こともある)。モノとして捉えた場合、不思議で曖昧な主観的なものだと思われがちな音楽の力が、コトとして捉えた場合、啓かれていくように思った。だが、伝えたい気持ちの代わりに〈祈り〉として置かれる音楽はモノみたいな気もして、よく分からなくなってしまった。2013/10/09
東隆斎洒落
2
13.10.20音楽を、「独立したモノ」として捉えるのではなく、「物語を持つコト」として捉えた本。確かに人間は、同じ音楽を聞いても、違う想いを持つ。それは、初めて聞いた場面や、今聞いている環境・立場・気持ちの違いがそうさせているからだ。作曲から作品が生まれ、聴取する「作曲→作品→聴取」という一方通行ではなく、作曲から創出された痕跡を聴取しに行くという「作曲→痕跡←聴取」という説にナルホド。 「音を楽しむ」と書いて音楽、普段「聞く」のが専らな自分も、時に楽器を手にしてみるのも悪くないなぁ~と思いながら読了。2013/10/20
【みらいけん読書会】
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#30 とおる2019/09/23