岩波文庫<br> 余は如何にして基督信徒となりし乎 (改版)

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岩波文庫
余は如何にして基督信徒となりし乎 (改版)

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  • サイズ 文庫判/ページ数 285p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784003311929
  • NDC分類 189.99
  • Cコード C0116

出版社内容情報

本書はキリスト教文学としてひとり日本における古典的代表作たるにとどまらず,あまねく欧米にまでその名声を博した世界的名著.懐疑と感謝,絶望と希望,悲哀と歓喜,――主人公である「余」の「回心してゆく姿」は,著者独特の力強い文章をもって発展的に記述され,読者をしてその魂を揺さぶらしめる何ものかを蔵している.

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

moonanddai

7
最初から作者に言われてしまいましたが、「如何にして」はWhyではなくHowなのですね。Whyはどうやら強制的にといったところですが、その後キリスト教へ真摯に取り組むことになる。やはり気になったのは「基督教国」へ行った後のこと。基督教国の現実への失望、キリスト教に多くの会派があることへの悩み、そしてそれらを乗り越えての「(改めての?)回心」。良くも悪くも「神の思し召しのまま」、「私」を捨てて生きるということ…。私ども「異教徒」の「他力本願」とも似ている(?)。ただそこに介在するのが「木石」か否かの違い…?2017/01/19

ヘラジカ

6
ただ単に異教徒から改宗するだけが回心ではない。宗教家内村鑑三が如何に基督教と向かい合い、自身を無教会主義へと変貌させるに至ったか、その成長と内省を記録している。神を信じることの根本的な難しさ(単純にいるいないの問題ではなく)に対する苦悩が内村を「すべての正直な信仰はこれを許容し寛容する」ことへと繋げたのか。基督教に関して充分な知識を有さない私には難しすぎる書であった。加えて後半は異教徒的感情が理解を阻害してしまった。もし万が一改宗することにでもなったらまたじっくりと読み返したい。2012/11/11

anarchy_in_oita

5
P228「異教を余はつねに人間存在の微温的状態と考える、それは非常に温かくもなく非常に冷たくもない。(…)我々が基督教を必要とするのは、我々を強化するため、我々の神には忠誠を、悪魔に対しては敵対を、誓うがためである。」善だとか悪だとか、きわめて観念的な言葉が全編通して留保なしで振りまわされているが、その判断の正しさを何が担保するのであろうか。自分が宗教に向いていないのはいいとしても自分よりよっぽど賢くて立派な偉人達が無邪気に聖書の無謬性を信じられるのはなぜだろうか。気になる2020/02/26

belier

4
題名でイメージしたよりもっと突っ込んで、どのようにして無教会キリスト教人道主義者内村鑑三が誕生したのか、が分かった気がする。米国から帰郷する20代後半までの伝記的な事実が多岐にわたって語られているわけではなく、テーマに沿った部分だけで構成され、典型的な自伝とはちょっと違う。前半はクリスチャンになった明治の青年たちの情熱的な活動を書いた青春の書、後半は思弁的で難解な部分もある内村の信仰告白の書といったところ。昔買って積読していたからこの本にしたが、ちょっと日本語が読みづらかった。2021/12/21

肉欲棒太郎

3
余が父親をオルグする過程は涙なしには読めない。坊主に対する侮蔑意識が面白い。終章で吐露される伝道精神の押しつけがましさを見るに、アメリカが世界中のあらゆる地域に介入しようとするのは、一つにはこのキリスト教の伝道精神が原因なのではないかと考えた。2016/07/13

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