内容説明
日露戦争下の明治37年、足尾銅山の鉱毒処理のため水没・廃村に追いこまれようとしていた谷中村に田中正造は移り住んだ。およそ10年にもおよぶ苦闘のすえ、人間の「生存権」を基本とする人権思想の確立、自治の回復とそれに立脚する人民国家の展望、綿密な河川調査に基づく治水の研究等、その思想は急速に深化をとげていった。
感想・レビュー
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壱萬弐仟縁
8
「社会の事イヨ〜ムツカシク、下層人民ノコト到底ソノ真相ヲシルベカラズト思フホドナリ」(29頁)。漢字、カタカナ併用のは読みづらい。「日本の行政、立法、司法皆破れて修収すべからざるに至れり」(57頁)。三権分立も憲法にあるが、原発訴訟でも責任が問われず、困ったものだ。国民主権はどこへ行ったのか。この指摘は、明治39年1月の話。「人生大ハ以て天地をも包み、小ハ以て草木禽獣虫魚二及ぶ」(153頁)。「正直な忠告ハ耳二せぬ病ひ」(254頁)。多くは難解だが、気になる箇所。下層民、三権分立、人生、謙虚さの教訓より。2013/10/04
wattann
2
正造の思想が凝縮されている日記が興味深い。現代の問題も根本的には変わらない。今こそ正造の思想に私たちは目を向けるべきだ。2013/01/06