出版社内容情報
自己の発見としての厳しい行(ぎょう),多くの人を限りなく魅了する曼荼羅.密教は,日本文化にも多大な影響を与えてきた.密教研究の第一人者で,チベット,ネパール,インド,パキスタンなどへ,密教の源流をもとめて調査を重ねてきた著者が,密教の歴史,思想,実践,シンボリズム等をやさしく語り,その現代における意味を問う.
内容説明
自己の発見としての厳しい行、多くの人を限りなく魅了する曼荼羅。密教は、日本文化にも多大な影響を与えてきた。密教研究の第一人者で、チベット、ネパール、インド、パキスタンなどへ密教の源流をもとめて調査を重ねてきた著者が、密教の歴史、思想、実践、シンボリズム等をやさしく語り、その現代における意味を問う。
目次
1 ヒマラヤを越えて―密教の歴史的な流れ(生きている密教;日本密教とチベット密教 ほか)
2 人間と宇宙―密教の思想(マクロとミクロの対応;神、仏、そして人間 ほか)
3 自己の発見―密教の実践(平常の自己と本来の自己;師匠と弟子 ほか)
4 感覚で捉える―密教のシンボリズム(混沌と秩序;色、形、音、運動 ほか)
5 個から全体へ―密教の社会性(俗と非俗;欲望の肯定 ほか)
著者等紹介
松長有慶[マツナガユウケイ]
1929年和歌山県高野山に生まれる。1951年高野山大学密教学科卒業。1959年東北大学大学院文学研究科印度学仏教史学科博士課程修了、文学博士。現在、高野山大学名誉教授、高野山専修学院院長
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感想・レビュー
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テツ
25
ありとあらゆる信仰は外部から眺めていても解るはずがない。正に「考えるな。感じろ」の世界。自己と他者との絶望的なまでの隔たりを認識しながらその上で自己とその他ありとあらゆるモノとの調和を目指す。この宇宙でこの場所でこの思考を巡らす「この私」という存在についての捉え方。世界の真実の姿を追い求めることはそのまま自分自身の在り方を追い求めることに繋がる。曼荼羅を見つめ修行を続けたらあやふやな自分を捕まえることが出来るんだろうか。2018/01/06
ジャズクラ本
21
○密教がチベットと日本に伝播したあたりの記述は煩瑣でなかなか理解が進まないが、それはこの本の責任ではなく現に難しいのだろう。教義に関しても生悟りすら覚束ない俄読者が225文字で記すなど以ての他。無理を承知でそれを表せば、あとがきにある「密教とは無限を相手にする宗教であり哲学。無限に対して有限の人間が体験の中でどう関わるかを教えてくれるもの」ということに尽きるかと思う。それだけに俗と非俗という二律背反をも併せ持つ、その具現が空海という人物になる。空海が山師のように思えるのも宜なるかなといったところ。2020/05/08
まえぞう
14
アビダルマは別格で、中観、唯識もいざ知らず、顕教の華厳や法華は宗教と言うよりは哲学という感じがしますが、浄土宗でやっと宗教らしくなって、密教はホント、信心だということですかね。2022/08/01
活字の旅遊人
10
秘密主義なのだ。文章で、活字で理解しようと思ってはいけないのかもしれない。
クサバナリスト
8
東京国立博物館の特別展『国宝 東寺 空海と仏像曼荼羅』をみに行くためのの基礎知識としての密教を学習するために読んだ。