岩波新書<br> 本居宣長

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岩波新書
本居宣長

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  • サイズ 新書判/ページ数 215p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784004302278
  • NDC分類 121.52
  • Cコード C0221

出版社内容情報

戦前,戦後の激動にもかかわらず,日本の文化史・思想史上,宣長ほど高い評価をもって生き続けてきた人物も珍しい.「日本とは何か」「日本人とは何か」が問われるとき,ほとんどつねに宣長は再生する.それは一体なぜなのか.生涯の半ばを費して完成させた『古事記伝』を徹底的に読み直すことによって,この問題の核心に迫ってゆく.

内容説明

戦前、戦後の激動を通して、日本の文化史・思想史上、宣長ほど高い評価をもって生きつづけてきた人物も珍しい。「日本とは何か」「日本人とは何か」が問われるとき、ほとんどつねに宣長は再生する。それは一体なぜなのか。生涯の半ばを費して完成させた『古事記伝』を徹底的に読み直すことによって、この問題の核心に迫ってゆく。

目次

序章 なぜ宣長か、なぜ『古事記伝』か
第1章 「始まり」の物語
第2章 『直毘霊』と「皇国」像の形成
第3章 美しき「口誦のエクリチュール」
第4章 天地の「初め」の物語
第5章 神をめぐる言説
第6章 新たな「神代の再・語り」

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

壱萬弐仟縁

9
『直毘霊(なほびのみたま)』の副題「道といふことの論(あげつら)ひなり」(30頁)。「読書礼楽」(38頁)は、中国のことばのようである。『古事記』とは、天武天皇が帝紀・旧辞をみずから誦み習わせて古辞のままなるあり方を、太安万侶が最大に尊重、漢字・漢文をもって表記したもの(79頁)。日本は中国からの各種文化が流入しているのは通訳案内士の学習でもよくわかるが、独自の日本文化をどう評価したらいいのか、は、まだ今日的にも課題が多いと思える。2013/08/12

kenitirokikuti

7
図書館にて。1992年刊行。昭和が終わって間もないころですね。平成30年&令和が始まったすぐの現在の感覚で読んじゃいけないので、焦点を合わせるのに難儀した。吉川幸次郎の宣長評は、継承した篤胤を切断することによるきれいな見方である、というあたりがポイントかな。いかに確率が低くても、無限回やる気持ちで続ければ当たるのと同じ、みたいな無理がある。2021/06/25

tyfk

3
「「神典のまま」なる神の言説の専断的なあり方は、もはや近代の神の言説はその二番煎じとしてしか語り出しえないというほどに強力である。だがこの二番煎じの神の言説を「つまらない」として、自ら「神道の根本」に迫ろうとする折口自身も、その「根本」を究明しようとする際にえがく認識論上の図式を、『古事記』をめぐる宣長のそれと同形のものとしてえがかざるをえないのである。」p.1872023/08/30

denden

2
本居宣長の古事記伝と平田篤胤が語られる。簡単に言うとそういうことだが、一筋縄ではいかない難しい問題がサラリと語られる。読者は筆者が語る内容を読み取ろうとすれば、大いに困惑し理解するのに時間がかかる。サラリと読了することなど出来る筈がない。これは日本を考える上で誰もが逃れることが出来ない道程であり、避けて通ることは出来ない。先ず、古書への接し方から学ばねばならず、読み方、理解の仕方から再考を迫られる。この書はそのことを教えようとしているのであり、それは事件とも言える。この書との出会いは私にとっては事件だ。2021/06/02

NICK

2
この本で論じられているのは『古事記伝』を中心とした思想家としての宣長だ。宣長は日本こそ神の御国であるということを『古事記』の注釈を通して見出そうとした。そこで儒学など中国由来の思想を「漢意」として解釈から排除していくのだが、肝心の古事記の正しさの根拠が漢意の否定的言辞によってしかなされない。宣長の自己(日本)と他者(漢意)は否定神学めいたロジックで構成されているのだ。実際のところ宣長が特権的なテクストとしての『古事記』を発見した(再・語りした)に過ぎなかったと論じている2012/08/03

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