内容説明
逃げる元ナチス親衛隊員と追すモサドとの必死の逃亡劇。最高の地位に立った大統領や「帝王」たちの暗い過去。また、庶民の中の無数の元ナチたちの重く苦い“それぞれの戦後”。そして今、東西統一へむけて活発化するネオナチ…。自己の「罪と罰」を問い続けるドイツの姿に、日本人のいまだ終わらぬ「戦後」を反照する。
目次
序章 いまドイツのなにを問うべきか
第1章 追う者と追われる者(逃亡14年―アイヒマンとモサド;「他者」による追及は裁き;時効なき「みずから」による裁き)
第2章 「ワルトハイム」たちの悩み(「過去」を捨てられなかったワルトハイム;「過去」を墓場に埋葬したカラヤン;「庶民のなかのワルトハイム」とその家族たち)
第3章 西ドイツにおける極右=ネオナチの流れ(生きている「ナチスの残党」;旧ネオナチから新ネオナチへ;ヒトラーの孫たち)
終章 ナチス追及の未来
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
モリータ
14
◆1990年刊、著者は同志社大学教授(ドイツ近現代史)。メディア論研究の佐藤卓己(当時京大院生)の名前が謝辞に。ナチ・ヒトラー研究からスタートしていたとのこと。◆独ソ戦末期について読んだあとだったので、全般的なドイツの占領政策・戦後処理との絡みの中で深く広く個々人の追及について知りたかったこともあり、現代(当時)のネオナチの情勢などにも分量が割かれた本書は物足りなかった(ないものねだり)。ただやはり文化人や家庭における親子間の追及のあり方を知ることは(日本の戦後を考えるうえでも)非常に重要と感じた。2019/09/20
東側ギャン
2
90年代まで元気だったリベラルが強かった時代、ナチスの犯罪に対するドイツの追求を日本と比較して話すみたいな。この本が特別リベラルってわけでもなくそうゆう時代だったんでしょう。全て不都合なことをナチスに押し付けるというテクニカルで卑怯な行いを賞賛していいもんですかね?自分がやってもいない先祖の犯罪を自分の罪のように語る愚かさを思考停止したドイツ社会に比べて日本はそれを犯さなかったって考える方が今なら自然でしょ。現にあまりにも本音と乖離した建前のせいで大混乱してる2016年現在のドイツの状況を見るとね・・・2016/02/15
ドント
2
戦後から東西ドイツ統一までのナチス追及とネオナチの台頭を概観できる。「ナチスという罪に向かい合う潔いドイツ人たち」とのイメージは一部は正しいものの、全体主義が広まる中での主流への反抗にはおそろしく勇気がいることだろうし、家族内でのナチス関係者への追及や断罪という重い段に至っては、果たしてこのような裁き方が全く正しいのかという気持ちにさせられる。無論日本人流のやり方が全く正しいとも思えないけど。一方では追及の手を逃れた者、裁かれなかった者たちもおり、ひとつの時代を裁くということの難しさを痛感した。2013/07/16
オランジーナ@
1
戦時中子が親を密告し、戦後密告した子の子が親を追及するって話がドイツではあったらしい。日本では同様な事例はあったのか気になった。2022/04/04
スターリーナイト
1
2020-602020/07/24