出版社内容情報
【内容紹介】
私は、草木に愛を持つことによって、人間愛を養うことができる、と確信して疑わぬのである。もしも私が日蓮ほどの偉物であったなら、きっと私は草木を本尊とする宗教を樹立してみせることができると思っている。自然の宗教!その本尊は植物。なんら儒教、仏教と異なるところはない。もし諸君が本書を読んで、いささかでも植物趣味を感ぜられ、且つあわせて植物知識を得られたならば、筆者は大いに満足するところである。(「あとがき」より)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
クプクプ
76
牧野富太郎の本は初めて読みました。牧野さんは植物の名前をつける分類も出来ると共に初心者に植物を普及させる能力が優れていたそうです。牧野さんは貧乏でしたが、90才以上まで長生きし、他人の欠点が気にならない性格が植物を愛することに繋がったそうです。私たちが食べているイチゴは正確にはオランダイチゴというそうです。また、日本が世界に誇る花はハナショウブで品種がとても多いことを知りました。また牧野さんの時代はまだ写真が発達していなくて、植物を採集し標本を作る時代だとわかりました。私も東村山市の北山公園へ(つづく)2020/12/27
ふう
72
高校の現国に、発見した植物の和名に妻の名前をつけた博士だと載っていました。以来、牧野氏のことは穏やかなロマンチストだと思ってきたのですが、こと植物について語ると厳しく頑固な学者でした。江戸末期生麦事件の年に生まれ、昭和までをただひたすら植物の研究に打ち込んで過ごした博士には、人と植物の順位などないかのようで、『草木をご本尊とする宗教を樹立』したいほどの愛情です。今だとマタハラにあたる発言もありますが、それも人間を特別な存在だとは思わないからでしょう。研究に没頭した95年間は、きっと幸せだったと思います。2015/07/11
翔亀
52
植物図鑑といえば「牧野植物図鑑」(1940)が改訂を重ねその人気は高いという。カラー写真でなく白黒イラストなので初心者には使いにくいが読み物として面白い。この日本の植物図鑑を先導した牧野富太郎が独学により権威に登りつめたのも明治時代の日本近代の面白さであるが、彼が晩年に身近な花について軽く語った本書にもその強烈な個性が伺える。例えばユリを百合と書くのは間違いで「百合の字面は日本のユリから追放すべき」とまで書く。この話は「牧野植物図鑑」にもしっかり載っているが、例えば山渓の図鑑には出ていなかったりする。2016/06/30
クラムボン
28
八十八歳の著作。あとがきに「もしも私が日蓮ほどの偉物(エラブツ)であったなら、きっと私は、草木を本尊とする宗教を樹立してみせることができると思っている。」…であるので、一般読者へ《植物の何たるか》を説いた布教の書でもある。ここでは馴染み深い《草花と果実》に絞っている。幕末生まれの教養人で、漢籍、万葉集などの古歌、本草学等の古書を交えて話を進める。我々とは依拠するものが違う。学者なので《植物の学名》について植物学の見地に立った説明がなされる。そこでは先人が如何に誤解してきたかを問う。やはり啓蒙の書だな。2022/02/23
田氏
18
学者なんざ、偏狭でなんぼだと思っている。和名とそれに当てられた中国名の漢字との食い違いをネチネチと指摘したり、キクイモを「美味くないから、誰も食料として歓迎しない」と言い放ったり(キクイモの天ぷらを好む者としては大いに反論する点ではある)、「馬鹿者」と言い放ったり、そんなものはご愛嬌である。ヒガンバナが種をつけない理由(3倍体であること)が本書執筆時にはどうやら未発見であったらしいことや、万葉集に詠まれる「壱師の花」がヒガンバナであるという現在の有力説が本書で唱えられているなど、年月を感じられて興味深い。2022/11/24