中公新書<br> 江藤新平―急進的改革者の悲劇 (増訂版)

中公新書
江藤新平―急進的改革者の悲劇 (増訂版)

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  • サイズ A6判/ページ数 230p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784121008404
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C1221

内容説明

佐賀藩に生れ育ち、時代を先取りする感覚と実行力とともに佐賀藩政改革の実績を背景に、国政の基本方針、教育・司法制度など明治国家の法体制構築に献身した江藤は、明治6年政変で下野し、故郷に帰って佐賀の乱にまきこまれる。自ら作りあげた刑法によって処刑された悲劇と同時に、本書では、明治国家を人間解放と人権定立の方向に牽引した中心人物のすぐれた人権意識、法治主義思想に照明をあて、従来の江藤像を一新する。

目次

第1章 佐賀藩士から朝臣へ(青年時代;明治元年の東京、明治2年の佐賀)
第2章 近代国家の設計(維新政権の青写真;憲法と民法;廃藩・教育・立法権)
第3章正義と人権のために(「民ノ司直」;司法権確立の苦闘;運命の急転)

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

しんすけ

15
図書館休館対策再読書 ソノ1     明治維新の志士の一人と語られることもある江藤新平だが、その体質はシビリアンだった。江藤新平が新政府における司法確立に果たした役割は大きい。だが1873年に伊藤博文等と対立した結果、翌年の佐賀の乱が勃発する。敗北した江藤新平は逃亡するが、四国で捕縛され1874(明治7)年4月14日に死刑で世を去った。この時点で明治維新は終わったと云えよう。三権分立の確立によって民衆の政治的立場の向上を望んだ江藤の精神は抹殺されその後は軍国日本が確立していき、それが今日まで続いている。2020/04/12

15
大河で江藤さんが次回で退場しそうなので再読。学生の頃、法制史のレポで読んで以来かな。懐かしい。石田三成とか梶原景時とか江藤新平とか好きなんですよ…(そっと目をそらす)脱藩から刑死されるまでの限られた時間で法治国家を作るため多くの仕事をして逝った人。「復讐、処刑の権利は国家のみがもつ」「仇討ちをする側も長年流浪し故郷に戻ることも許されず悲惨な人生を余儀なくされる」として、古来からの悪習である仇討ちの禁止とか頑張ったよなあと思うんだ…。大久保さんともう少しうまくいってたらなあと、そればかりが無念でならない。2018/11/14

Galilei

7
法治国家を必死になって築こうとしたが、山県有朋、井上馨はじめ長州はうす汚いならず者の集団。下人の成り上がりには法律など無縁で、改ざんや隠蔽はお手の物。司法卿の江藤はひとり対抗したが、結果は、佐賀の乱、西南戦争で反長州を粛清。◆ 永井荷風によれば、柳橋芸者は、薩長の座敷は上がらず、新興の新橋は金目当てのお座敷。◆ 現在も相変わらずの長州政治家と貧官汚吏。歴史は繰り返すと言いますが、江藤が批難した歴史はずっと続いてます。2020/03/07

印度 洋一郎

7
副題が全てを物語る一冊。長崎警護を任じられたために、江戸時代にも関わらず開明的な佐賀藩に育ち、幕末の日本人としては相当にラジカルな近代治国家を志向する、"進み過ぎた人"だった。人民のために法を行使し、公権力を制御するという今の立憲主義を早くも主張し、司法卿に就任するやその理想を実現しようとするが、長州閥の疑獄を厳正に捜査したことから、伊藤博文によって政府を負われた。本人には権力志向は無かったようだが、職務に忠実な姿勢が仇となり、結果として敵を作ってしまった。佐賀の乱に連座しての処刑も、実質的には粛清だった2014/04/13

ちばっち

5
今日は何の日で自分が作った司法制度により裁かれた人と紹介されていたのを見てからずっと気になっていた人です。名前は聞いた事あるけど…程度の人でしたが今後は尊敬する歴史上の人物に挙げたい人になりました。先見の明、決断力、実行力…語彙力が追いつかないくらいどれを取っても素晴らしい人です。今の日本を創った人でありもっと取り上げられてもいいと思います。2021/03/28

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