内容説明
江戸時代、ヨーロッパ諸国中で唯一日本との貿易を許されたオランダ人。出島に居を定められていた彼らだが、「参府」の時にはおよそ三ヵ月をかけて江戸との間を往復した。禁教下、道中は厳しい管理を受けたが、各地で様様な交流もなされた。将軍との謁見や幕府高官宅への挨拶回り、町中の宿での宿主一家の接待や学者との情報交換等である。今まで取り上げられてこなかったカピタンの参府旅行を総合的にエピソード豊かに解明する。
目次
序章 将軍謁見と贈り物
第1章 出島の三学者、江戸へ旅する
第2章 オランダ商館長=カピタンの江戸参府
第3章 阿蘭陀宿―日蘭交流の舞台
第4章 京の高瀬舟、人は乗せたか
第5章 江戸参府におけるカピタンの遣銀と阿蘭陀通詞
終章 日蘭関係とカピタンの江戸参府―判明・明確化のうえにみえてくること
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
糜竺(びじく)
24
鎖国の江戸時代の日本に来ていた数少ないオランダ人の様子が分かった。若干、読みにくい。2023/06/12
TSUYOSHI_K
2
朝鮮通信使が12回だったのに対し、カピタンの江戸参府は166回に及んでいる。これが幕府の外国(特に西洋)への認識と政策に影響を与えないはずはない。通信使ほど知られていないのは、江戸参府は幕府の統制下で行われていたから。日本の知識層はその中でも貪欲に西洋の知識を吸収していったようだ。当然、オランダ側にも資料は残っていて、幕末に日本に赴任した英国領事のラザフォード・オールコックが批判的に研究しているのは面白いところだ。2018/04/28
印度 洋一郎
2
いわゆる鎖国下の日本を旅することの出来た唯一のヨーロッパ人が出島のオランダ人。その江戸参府を検証し、幕府や日本の庶民との交流を探った一冊。医師のケンペルやシーボルトのように知的好奇心(シーボルトの場合、政治的目的も)で日本と接触する者もいれば、京都で頭巾をかぶって茶屋遊びに出かけるような時代劇まがいの行動をするカピタンもいた。オランダひいきのオランダ宿の主人との交流や、お茶壺道中のように威張りまくる通訳達など、色々な側面がわかって興味深い。2009/12/24
いちはじめ
0
オランダ人の江戸参府旅行の実態。江戸時代は鎖国といわれつつ、案外情報は行き来していたのだなと思う2000/04/10
とくさん
0
出島の3学者、ケンペルと今村源右衛門、ツェンベリー、シーボルト。阿蘭陀宿、江戸の長崎屋、送り砂糖、京の海老屋、高瀬舟、大阪の長崎屋:銅座、吹所見物。など2021/06/16