出版社内容情報
『百人一首』と『百人秀歌』の成立を探り、後鳥羽院を深く意識しつつなされた定家の絵とセットの秀歌撰構想を説得的に解き明かす。
寺島 恒世[テラシマ ツネヨ]
著・文・その他
内容説明
『百人一首』は初めから絵を伴っていたのか、それとも後から描かれるようになったのか。この課題を解決することは、『百人一首』成立の謎を解く一つの鍵となる。同じ定家が編んだ秀歌撰『百人秀歌』との関わり、後鳥羽院への意識、「嵯峨中院の障子の色紙形」…定家は、どんな秀歌撰をどのように編もうとしたのか。
目次
1 『百人一首』の成立(時代の所産;京と鎌倉;定家における後鳥羽院;『百人秀歌』の存在)
2 催しの先例―『最勝四天王院障子和歌』との関わり(障子絵の作成;定家の尽力;中院山荘の間数)
3 作品の先例―『時代不同歌合』との関わり(番いの新しさ;番いで読む味わい;定家の受容 その一;絵との相関;時代不同歌合絵の創意;定家の受容 その二;時代不同歌合絵の先駆性)
4 『百人秀歌』の配列(『百人一首』と『百人秀歌』;配置の妙;構造に由来する配置;入道前太政大臣歌)
5 『百人秀歌』の試み(絵と歌による創造;『百人一首』との関わり)
著者等紹介
寺島恒世[テラシマツネヨ]
1952年、長野県生まれ。筑波大学大学院文芸・言語研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、武蔵野大学特任教授。専攻は、中古・中世の和歌文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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bapaksejahtera
11
図版を多用した中身の濃い小冊子。歌仙絵併用が常識である百人一首は、江戸期に至り印刷術の発達に伴い普及した。万事書写を要した中世から近世の時期絵入り文書の継承が困難な事は容易に想像できる。本書では史料の少ない困難の中、定家と関係するいくつかの障子(襖)絵作業に関する明月記等文書を参照しつつ、想像を脹らませる。貴人宅の襖に人物を配する事を不自然とし、寧ろ「時代不同歌合絵」との連関から「百人一首」の絵画との当初からの親和性を説く。今日残る俊成本歌仙絵の貞信公「小倉山紅葉踏み分け」を根拠に推論する手法は興味深い。2024/01/29