講談社選書メチエ<br> 大東亜共栄圏―帝国日本の南方体験

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講談社選書メチエ
大東亜共栄圏―帝国日本の南方体験

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  • サイズ B6判/ページ数 320p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784062586344
  • NDC分類 210.75
  • Cコード C0321

出版社内容情報

1940年8月1日松岡洋右によって公表された大東亜共栄圏構想。その用語はどのような国際情勢、いかなる意図から掲げられたのか。「大東亜共栄圏」という言葉が当時の外務大臣・松岡洋右によって初めて公表されたのは1940年8月1日であった。その用語は当時のどのような国際情勢をふまえ、いかなる意図を持って掲げられたのか。
やがて東南アジアを軍事占領し、対米開戦へと突き進むことになる日本の方向は、この構想が想定する道だったのか。また、この構想を支えるようになる「八紘一宇」というスローガンは、そもそもどんな思想的出自をもつのか。
対米外交の行き詰まりと東南アジア情勢への介入が拡がるなか、これらの言葉は日本人の目を「南方」異文化へと開き、「共栄圏」への志向を強めていく。
結果的には3年半余りしか続かなかった「大東亜共栄圏期」。その間200万人を超える日本人に東南アジアでの生活を強い、数千万人の東南アジアの人々に「日本文化」を目撃させた特異な時代は、どんな状況に生まれてきたのか、何か明確な理念を持っていたのか。
本書は1940年代前半の日本全体を覆った歴史的運動を多角的に検証する。

第一章 大東亜共栄圏の誕生
   一 ドイツ勝利への危機感
   二 松岡洋右の登場と大東亜共栄圏構想
   三 動き出した東南アジア情勢
   四 日米・日独・日ソ交渉と大東亜共栄圏構想
第二章 大東亜共栄圏構想と対米開戦
   一 松岡の帰国と大東亜共栄圏構想の停滞
   二 選択された日米開戦
   三 開戦前「独立」構想
   四 「八紘一宇」と「亜細亜の解放」
第三章 異文化体験の空間
   一 「独立」か「占領」の継続か
   二 マレー軍政部の多民族統治
   三 徴用作家の南方体験
   四 東南アジア情報の還流と蓄積
第四章 「アジア解放」をめぐる異文化交渉
   一 抗い続ける他者の姿
   二 独立に対する本心
   三 南方特別留学生制度と大東亜会議
   四 崩壊する共栄圏


河西 晃祐[カワニシ コウスケ]
著・文・その他

内容説明

一九四〇年八月一日、「大東亜共栄圏」という言葉が外務大臣・松岡洋右によって初めて公表された。新秩序構想を支えるスローガン「八紘一宇」の出自とは?やがて東南アジアを軍事占領し、対米開戦に到る日本の針路はこの構想で想定されていたのか。日本人の目を異文化へと開く一方、三年半余りにわたって二〇〇万の日本人に「南方」での生活を強い、数千万の東南アジアの人々に「日本人」と「日本文化」を目撃させた特異な歴史的運動を多角的に検証する。

目次

第1章 大東亜共栄圏構想の誕生(ドイツ勝利への危機感;松岡洋右の登場と大東亜共栄圏構想;日米・日独・日ソ交渉と大東亜共栄圏構想)
第2章 大東亜共栄圏構想と対米開戦(松岡の帰国と大東亜共栄圏構想の停滞;選択された日米開戦;開戦前「独立」構想;「八紘一宇」と「亜細亜の解放」)
第3章 異文化体験の空間(「独立」か「占領」の継続か;マレー軍政部の多民族統治;徴用作家の南方体験;東南アジア情報の還流と蓄積)
第4章 「アジア解放」をめぐる異文化交渉(抗い続ける他者の姿;独立に対する本心;南方特別留学生制度と大東亜会議;崩壊する共栄圏)

著者等紹介

河西晃祐[カワニシコウスケ]
1972年、東京都生まれ。上智大学文学部史学科卒業。上智大学文学研究科史学専攻博士後期課程修了。文学(史学)博士。現在、東北学院大学文学部歴史学科教授。専攻は日本‐東南アジア国際関係史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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小鈴

18
イデオロギーに彩られた「大東亜共栄圏」の再構成に成功している。これを超える本はなかなか出てこないのでは。一次資料と当事者が見た大東亜共栄圏とは。モンロー主義と同じ勢力圏程度の意味合いしかなかったものが、三国同盟を契機に広がるも概念は曖昧模糊のまま、実際に南方占領によって200万の兵士の体験とメディアを経由して南方を知る本土。大東亜に加入された国々の思惑と抵抗。敗戦で全てが無になったのか。アジア解放でも植民地支配でもない交流が今にも残る。本を閉じ、大きな物語の余韻にひたる。2016/10/09

かんがく

10
副題にあるように、軍人や従軍記者が南方世界をどう捉えたかを軸に、「大東亜共栄圏」を描く。空虚なスローガンである一方で、留学生など異文化交流の場となったという視点は面白かった。2020/11/19

さとうしん

10
本書で印象に残ったのは、東南アジアの人々を寛大に扱っているつもりの日本側と、現地の人々の感情が齟齬を来す部分。たとえば日本側がイスラム教・ヒンドゥー教など現地の宗教信仰を認める一方で、神社の参拝や皇居遙拝を彼らに求めてその矛盾に気付かなかったり、日本へのフィリピン人留学生が、医学などの専門分野に加えて修身も学ばされることに対して、「私たちは日本精神を学びに来たわけではない」と、英語で不満を示す話などが紹介されている。この手の寛容に見せかけた無理解は、現代の日本にも残っているのではないか。2017/01/02

Happy Like a Honeybee

9
冬季開戦の理由とは。タイと大日本帝国との軋轢が興味深い。獄中にあったプロレタリア作家を、南方へ送るくらい人材不足?日本の歴史としては自壊した大東亜戦争。東南アジアからの視点では宗主国との勝利と呼べるのか。2016/12/03

見もの・読みもの日記

5
そもそも「八紘一宇」も「アジアの解放」も空疎なスローガンだったにもかかわらず、現場で否応なく「異文化体験」をさせられた人々の中から、戦後、日本と東南アジアの豊かな交流が花開いたというのが感慨深くて、最終ページでちょっと涙が出た。2016/10/21

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