あなたは今、この文章を読んでいる。―パラフィクションの誕生

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  • サイズ B6判/ページ数 289,/高さ 19cm
  • 商品コード 9784766421620
  • NDC分類 901.3
  • Cコード C0090

出版社内容情報

本書は能動的行為を要求するプログラムを「パラ」を冠するフィクションとして名づけ、提言する。2010年代衝撃のフィクション論。

円城塔、伊藤計劃、筒井康隆、辻原登、舞城王太郎、ジョン・バース、コルタサル、ジーン・ウルフ――
メタフィクションの臨界点を突破する、2010年代のための衝撃のフィクション論。
 「フィクション」の「虚構性」を意識的に描き出そうとする、「メタフィクション」は、ゼロ年代に入り、ゲームとアニメ、インターネットの進化と連動しながら、あらゆるジャンルで著しい勃興を遂げた。しかし、世に氾濫する過剰な「メタ」は、或る重大な問題をはらんでいたのである。すなわち、フィクションが複雑化・階層化されるにつれ、物語の外部で操作する「作者」の絶対性は強化される、というパラドックスである。

 ところがゼロ年代後半から、「メタ」の限界を乗り越えるべく構想された作品群が登場しはじめる。それらのテクストには、「読者」に「読む」という能動的行為を要求するプログラムが内包されていた。
 本書では、そのプログラムを「近傍の/両側の/以外の/準じる/寄生する」という意味をもつ「パラ」を冠するフィクションとして名づけ、提言する。「読者」つまり「あなた」が読むたびに新たに生成されるフィクション、それが「パラフィクション」である。

プロローグ
   パラフィクションとは何か?
   「道化師の蝶」の選評をめぐって
   メタフィクションの「問題」
   メタリアル・フィクション再考

第1部 メタフィクションを超えて?
 1 「メタフィクション」とは何か?
   メタフィクションの定義いろいろ
   自意識のフィクションと、その外部
   メタフィクションの左旋回
   由良君美のメタフィクション論
 2 『虚人たち』再読
   虚構内存在とは誰か?
   平岡正明の『虚人たち』論
   渡部直己の『虚人たち』論
   『虚人たち』から『脱走と追跡のサンバ』へ
 3 辻原登の「虚人」たち
   人称と視点
   作者たちのレイヤー
   「虚構内人物」の「自覚」とは何か?
   遊動亭円木は虚構内人物である
 4 マリー=ロール・ライアンの(メタ)フィクション論
   「……ということにしましょう」
   AW―TAW―TRW
   虚構内存在としての作者と読者
 5 ジョン・バースから竹本健治へ
   「虚構内虚構」の幾つかのパターン
   ジョン・バースの「枠組物語」
   メタフィクションとしての『匣の中の失楽』
 6 「ゲーム的リアリズム」再考
   『九十九十九』の分裂?
   「現実」を肯定する?
   メタフィクションとしての「イキルキス」&「ビッチマグネット」
   「日本的メタフィクション」の起源?
 7 「メタフィクション」の何が問題なのか?
   『虚構内存在』の「虚構内存在」
   「作者」から「読者」へ

第2部 パラフィクションに向かって
 8 「あなたは読者である」
   二つの掌篇
   二人称小説とは何か?
   「爪と目」は二人称小説か?
 9 パラフィクションとは何か?
   「読者」の創出
   他者言及機関としての小説
   README
10 書く者と書かれる者/読む者と読まれる者
   「屍者」の帝国へ/から
   「わたし」の物語
11 パラフィクションとしての『屍者の帝国』
   ヒズ・ボーイ・フライデー
   フライデーとは誰か?
12 日本・現代・SF
   「雪風」的な世界
   「言葉使い師」の憂鬱

エピローグ
   あとがき
   参照文献
   作品名索引
   人名索引

【著者紹介】
佐々木 敦
1964年名古屋市生まれ。批評家、早稲田大学文学学術院教授、音楽レーベルHEADZ主宰。20年以上にわたり、音楽、文学、映画、演劇などの批評活動を行なう。著書に『即興の解体/懐胎』(青土社、2011年)、『未知との遭遇』(筑摩書房、2011年)、『批評時空間』(新潮社、2012年)、『シチュエーションズ』(文藝春秋、2013年)、『「4分33秒」論』(Pヴァイン、2014年)、『ex-music〈L〉ポスト・ロックの系譜』、『ex-music〈R〉テクノロジーと音楽』(共にアルテス、2014年)など多数。

内容説明

ゼロ年代後半から、「メタフィクション」の限界を乗り越えるべく構想された作品群が登場しはじめる。それらのテクストには、「読者」に「読む」という能動的行為を要求するプログラムが内包されていた。本書では、そのプログラムを「近傍の/両側の/以外の/準じる/寄生する」という意味をもつ「パラ」を冠するフィクションとして名づけ、提言する。「読者」つまり「あなた」が読むたびに新たに生成されるフィクション、それが「パラフィクション」である。

目次

第1部 メタフィクションを超えて?(「メタフィクション」とは何か?;『虚人たち』再読;辻原登の「虚人」たち;マリー=ロール,ライアンの(メタ)フィクション論
ジョン・バースから竹本健治へ
「ゲーム的リアリズム」再考
「メタフィクション」の何が問題なのか?)
第2部 パラフィクションに向かって(「あなたは読者である」;パラフィクションとは何か?;書く者と書かれる者/読む者と読まれる者;パラフィクションとしての『屍者の帝国』;日本・現代・SF)

著者等紹介

佐々木敦[ササキアツシ]
1964年名古屋市生まれ。批評家、早稲田大学文学学術院教授、音楽レーベルHEADZ主宰。20年以上にわたり、音楽、文学、映画、演劇などの批評活動を行なう(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

35
一時席巻したメタフィクションという言葉は、マジックワード化しています。我々はメタの特権性に辟易していないだろうか。作中人物が虚構の自意識を持つことがメタフィクションですが、それは新たなレイヤーの作者の語りになります。ところが、フィクションにおける現在は、読者が読んでいるこの現在であると考えることもできる。作品は読者に読まれて、はじめて現前する。著者は、このメタ磁場を撒き戻していくことができるのがパラフィクションだといいます。メタフィクションを第Ⅰ部で、パラフィクションを第Ⅱ部で論じています。パラフィクショ2019/04/02

梟をめぐる読書

18
筒井康隆の短編中で直接参照されていたので、慌てて読了。いくら虚構の「虚構性」を言い立ててみせたところで結局は「作者」の特権性を強化してしまう「メタフィクション」(「わたしは今、この文章を書いている」)から、なにはともあれその文章を読んでいる「誰か」に寄り添おうとする「パラフィクション」(「あなたは今、この文章を読んでいる」)へ、というお話。後者の主軸として論じられるのが円城塔と伊藤計劃、といわれると「まあそうだよな」という感じだけど。現在、メタはすでに「ネタ」であり「ベタ」である、という問題意識には共感。2016/07/04

袖崎いたる

14
そもそも文書の存在は作者の想定こそ判を押したように当然だが肝心要な所では「読まれる」という契機が必要なのであり読者の存在は抜けず、もしその契機がなかったならその文書は実在しない。作者ばかりが偉いという違和感があれば、読者の方の権威を強化しようという向きにも違和感を持てる。そうした違和感の調停をメタフィクションの趣向でどうにかしようにも強調されるのは作者ばかり…と思いきや反撃の嚆矢も放たれたりするイエーガー。表現の実在が〈読者=他者〉を以て成るにも関わらず、〈作者=自己〉へとメタメタしててはアナクロニズム?2017/02/02

しゅん

12
メタフィクションが作者の絶対性を強め、豊かな読みの自由を奪う仕組みと化しているのに抗して、読者の「読んでいる」という意識に寄り添う「パラフィクション」を概念化しようと企んだ意欲的な一冊。特定のジャンルに関する分析のように見えるが、小説には常に「誰かが書いていて、誰かが読んでいる」という状況が潜んでいるのを考慮すれば、すべての小説、もしくはすべての文章の読みに関係する議論だ。『屍者の帝国』の物語内で流れる年月の指し示すものを考察する批評には唸った。2017/09/05

ももみず

12
アドベンチャーゲームブックってありますよね。「はい」を選ぶ→10ページへ進む、「いいえ」を選ぶ→15ページへ進むみたいにして、最終的にそれぞれの結末に至る本。パラフィクションって、それを小説という形式にまとめ上げたものかなと思いました。あれは能動的に読まれなければ成立し得ないから。私の愛する寺山修司は、『幸福論』の中で、「走りながら読む本を作りたい」と書いているけど、この能動性こそパラフィクションの本質なのでしょうか。あと、なぜかバークリ僧正の「存在するとは知覚されることだ」というお言葉を思い出しました。2015/01/21

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