内容説明
いま日本ではモノがあふれているのに、幸福だと感じている人は少ない。本来、人間のためにあったはずの公共性が、制度やシステムとして逆に人間を支配しているからだ。公共性のありかを人間の精神活動に求め、それが人間という社会的存在の幸福と直結していることを説く。
目次
第1章 公共なんてヨソ事?(公共と言えばモノ(制度)ばかり
「人間」はどこにいるのか
弱い「私」
ウチとソト
自由とは「気まま」のこと?
フェアネスの精神はどこへ行ったのか)
第2章 人間は不要?―効率主義の世界(人間がシステムに引き渡される;資本主義の世界;市場システムの自立)
第3章 「もつ」よりは「ある」ほうがよい(働くことじたいが幸福;価値―社会への通路;価格(カネ)だけが価値なのか
「ある」ことの深さ―自分の奥行き)
第4章 公共性のありかをモノから人間へ(公共性の問題に対処できるのは誰か;「市民」と「生活者」;科学・技術の公共性;経済を生活世界の中へ内部化する;私の保証としての公―古代ポリスという事例)
著者等紹介
平子義雄[ヒラコヨシオ]
1940年東京都に生まれる。1967年東京大学大学院人文科学研究科(独語独文学専攻)修士課程修了。1993年東京大学大学院総合文化研究科教授。2002年兵庫県立姫路工業大学大学院環境人間学研究科科長。2006年兵庫県立大学名誉教授。現在、法務省人権擁護委員、豊中市人権文化のまちづくりをすすめる協議会委員、NPO法人「リサイクル広場とよなか」理事長、「技術者倫理の研究会」主宰。専攻はドイツ思想・文学、言語理論、環境思想・環境政策論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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