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関係としての自己

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  • サイズ B6判/ページ数 308p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784622071440
  • NDC分類 493.7
  • Cコード C1011

内容説明

「私」とは何か。「自己」とは何か。豊富な臨床経験と、生命や存在への透徹した眼差しをとおして、自己という奇妙なあり方の謎に迫る、木村人間学の到達点。

目次

私的な「私」と公共的な「私」
時間の人称性
他者性のクオリア
自分であるとはどのようなことか―自己性と他者性の精神病理学のために
個別性のジレンマ―記憶と自己
“あいだ”と言葉
「あいだ」と恥ずかしさ、そして証言―アガンベンを読む
生命論的差異の重さ
ブランケンブルクの死を悼む
西田哲学と精神病理学
一人称の精神病理学へ向けて―ヴォルフガング・ブランケンブルクの追悼のために
未来と自己―統合失調症の臨床哲学試論

著者等紹介

木村敏[キムラビン]
1931年生まれ、1955年京都大学医学部卒業。京都大学名誉教授、河合文化教育研究所主任研究員、精神病理学専攻。1981年第3回シーボルト賞(ドイツ連邦共和国)、1985年第1回エグネール賞(スイス、エグネール財団)、2003年第15回和辻哲郎文化賞受賞
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

kanaoka 56

5
私たちが自己という存在である以前に、ヒト種の群れ(集団)に含有される原初的な存在である。そこには、渡り鳥が群れの一員として行動するような、犬の遠吠えが連鎖するような、集団の意思、根源的なエネルギー、全体主義の魔力等がある。蟻や蜂のような真社会性の生物の各個体は、それぞれにおいて自己は形成されず、ただ全体を構成するうちの1つの細胞のようなものと言えるだろう。しかし、私たちも、その根源(自己のベールの奥に)においては、そのような異質の種とも共通する存在なのだろう。2015/10/19

酒井一途

3
西欧においてはキリスト教的な神と個人の垂直的関係があり、日本においては社会や世間といった公共性に意識を向けた水平的・間柄的関係が構築される。ゆえに日本人は、私的な複数一人称集団を形成しやすい。その中では集団と一心同体の「私」として行動される。複数一人称集団の中で、単数一人称の「私」は独立した単独者として意識の主観となったり、行為の主体となったりすることは困難である。常に「私」は共同主観/主体の中に埋没した状態となる。さらに、この身内集団はその維持のために敵を必要とすることがしばしば。等。大変面白かった。2013/02/19

朝野まど

3
3度ほど読み返して、ようやく木村さんの学問が思考の中に自然と入ってくるようになった。でも、まだまだダメですん。この本が影響したのは、思考だけじゃなく、もっと奥の、生き方。読み終わったとき、人や地面、空気、そんな世界との関わり方が、違って感じられた。僕の底には貴方の声が流れていて、貴方の底には僕の声が流れている。主客未分の私と、貴方。そうやって感じた世界は、どこか充実感があって、とろっとしたものでした。2013/01/25

amanon

3
以前読んだ『時間と自己』がかなり難解だったので、かなり心して手に取ったのだけれど、思いの外さくさく読み進めることができた。元は講演だったという論文が多勢を占めているためだろうか。さくさく読めたとはいえ、正直言って理解の程はいささか怪しいのだけれど、それでも統合失調症患者への理解はより深まったとは思う。また、「西田哲学と精神病理学」において、西洋で始まった精神病理学をより普遍的なものにするため、日本人の優れた哲学者の思索が果たしうる寄与について考察するという視点が非常に新鮮なものに思えた。2012/07/25

low-k

0
自己について考えるのにとてもオススメしたい本2008/09/14

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