出版社内容情報
いまある状態が、すべてではない。ものごとを変える、変えることができる、という意志と希望を失ったそのときに、教育は、被教育者にたいする非人間化の、抑圧と馴化の行為の手段になっていく。いまある所与の状態を引き受け、それを直視しつつ、誠実かつ老獪に「可能な夢」を模索する教育思想家フレイレの晩年の主著。
訳者後書きから
本書は,Paulo Freire Pedagogia da Esperan溝 Um reencomtro comapedagogia do oprimidoの全訳です。底本としては、PazeTerra発行の第2版を使いました。
1970年に刊行された『被抑圧者の教育学』は、世界中のいたるところで読みつがれて教育思想の「現代の古典」となっていますが、今日の状況とのかかわりを通して、著者自身がそれをあらたに「再読」した記録が、この本といえましょう。自著を再読する、ということは、それをくりかえしre-createする,というこつでもあるわけです。同時にこの本には『被抑圧者の教育学』の成立の経緯なども語られていて、第三世界の激動する歴史の証言としても重要なものでしょう。
原テキストは息の長い、連想・飛躍・転調が複雑に織り込まれた、かなり手の込んだ文章です。その意味では難文といってもよいのでしょうが、ブラジルの読者の多くは、このテキストから聞こえてくるフレイレの「声」に耳を傾けているのだと思います。国文学者の広末保氏は『元禄期の文学と俗』のなかで、「西鶴はかくことによって、話術を、読むことのできる話術として再現した」と指摘していますが、フレイレのこの本も「読むものをして、話
内容説明
いまある状態が、すべてではない。ものごとを変える、変えることができる、という意志と希望を失ったそのときに、教育は、被教育者にたいする非人間化の、抑圧と馴化の行為の手段になっていく。いまある所与の状態を引き受け、それを直視しつつ、誠実かつ老獪に「可能な夢」を模索する教育思想家フレイレの晩年の主著。
著者等紹介
フレイレ,パウロ[フレイレ,パウロ][Freire,Paulo Reglus Neves]
1921年、ブラジルの東北部に生まれた。1960年代初頭の「民衆文化運動」に参加、その卓越した成人識字教育の実践によって、広くブラジル内外の注目を集めた。64年、軍部のクーデタで祖国を追われ、以後十五年間、チリ、スイスなどで亡命生活をおくる。その間に『被抑圧者の教育学』などの著作と第三世界各地での民衆教育プロジェクトへの参画を通して、伝達中心の「預金型教育」を批判、被教育者の主体性を重んずる「対話的教育」の必要を説きつづけた。82年帰国、89‐91年はサンパウロ市教育長として公教育改革にとりくむ。1997年に急逝
里見実[サトミミノル]
教育学専攻。国学院大学教員。前『ひと』編集委員
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感想・レビュー
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