サラエボで、ゴドーを待ちながら―エッセイ集〈2〉写真・演劇・文学

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  • サイズ B6判/ページ数 304p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784622074762
  • NDC分類 934
  • Cコード C0098

出版社内容情報

1993年に著者はベケットの劇『ゴドー……』を演出すべく戦下のサラエボへと旅立った。この時の苦難と怒りと喜びにみちた経験の記録を中心に、ダンスや写真の最前線、メイプルソープやブロツキーの肖像など、書斎のなかに留まらなかった評論家の熱い軌跡を集成する。『書くこと、ロラン・バルトについて』につづく刺戟的なエッセイ集。

内容説明

スーザン・ソンタグのような批評家がまたいつか登場することがあるのだろうか。メイプルソープからブロツキーまで、まぶしいばかりの批評的エッセイを集成。

目次

見ること(続き)(『自然の光』のための用語集;彼らの感情の思い出に;ダンサーとダンス;リンカーン・カーステイン ほか)
そことここ(ハリバートンへのオマージュ;ひとりでいること;読むこと、書くこと;三〇年後に… ほか)

著者等紹介

ソンタグ,スーザン[ソンタグ,スーザン][Sontag,Susan]
1933‐2004。アメリカの作家・批評家。2001年に「イェルサレム賞」を受賞

富山太佳夫[トミヤマタカオ]
1947年鳥取県に生まれる。1970年東京大学英文科卒業。1973年同大学大学院修士課程修了。現在、青山学院大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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兎乃

22
ソンタグが1993年戦時下のサラエボで演出した「ゴドーを待ちながら」。その体験を語る。また本書は多様で幅広い諸々のエッセイが扱われている。ポーランド系ユダヤ人移民の血をひくソンタグ。最後の「翻訳されるということ」の章、政治的背景や歴史の中で「言語」に対峙するソンタグの真摯さを強く感じた。"私は翻訳される側なのだ――近代的な意味で、そして、ウィクリフの散種した、今はない意味でも。私は翻訳を監督しながら、私の言葉の死と転移を監督してしまっているのだ" 多様なエッセイ、どの頁にも記憶に残る「音」があった。 2013/01/15

メルセ・ひすい

4
肖像写真について⇒写真家…ロバート・メイプルソープ彼の欲望。ロマンティックな愛着や感嘆の念そしてー数え切れないポジティブナ感情を抱く。写真を撮る瞬間にその対象に向けられた視線は被写体から離れて、総称化する。かたちを識別する視線と化す。そのもの自体への反応ではなくなるのだ。私は見つめられるものとなる。… スーザン・ソンタグのような批評家がまたいつか登場することがあるのだろうか。メイプルソープからブロツキーまで、「書くこと、ロラン・バルトについて」に続く、行動する批評家の真面目を示すエッセイを集成。2012/09/23

Happy Like a Honeybee

2
スーザンソンタグのエッセイ集。 メイプルソープやハリバートンなど写真家や著述家なども。 セルビアと国連軍によるサラエボ包囲。 時のジャーナリストは「戦争の勝負はテレビ上で決まる」と声高く叫ぶ。 だったら「そこ」ではなく、「ここ」で距離を確かめろとソンタグは力説する。 紛争など再考するきっかけになる一冊である。2014/08/31

更新停止中

1
ダンスを見た事が殆ど無いのでダンスについて書いた文章を読む能力がない。でも舞台は全く見ないし興味ないし「ゴド待ち」読んだ事さえないのに、表題のエッセイは本書で一番面白かった(最後でちょっと泣きさえした)し、映画は嫌いだけど映画に関する文章は読める。でもダンスに関する所は全く置いてきぼりなのは、映画や演劇の方がダンスより「一般常識」として浸透してるからか、私の認識のせいか、それともダンスというものの特性なのか。そんな訳で前半は読むのに時間がかかったけれど、サラエボ絡みの話はやはりいろいろ刺さるものがあった。2013/02/27

rinrin

0
【BOOK(2014)-067】!!!!!! 2014/03/21

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