内容説明
『国富論』を「21世紀の貧困論」として読む。こんな大胆な試みで見えてくる市場経済の理想と現実。その矛盾の中で私たちは誰と何を争い競争しているのか。日々追いかけられる日常のなかで勇気を持って立ち止まり「新しい働き方」を実現させるための「新しい企業」の姿を考えてみる。
目次
序章 「新しい働き方」の時代へ
第1章 『国富論』を読む
第2章 『国富論』は、今日のような市場経済を描いていたか?
第3章 株式会社の起源:株式会社は『国富論』を終わらせたか?
第4章 社会的企業の出現:新しい「企業」は可能か
終章 『国富論』はよみがえるか?
著者等紹介
井上義朗[イノウエヨシオ]
1962年、千葉県生まれ。千葉大学人文学部卒業。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。経済学博士。現在、中央大学商学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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yyrn
6
福祉・教育・環境などの地域課題を解決する主体として「社会的企業」が注目を集めているが、その登場する時代的背景と今後の展望について、アダム・スミスの「国富論」(1776)から説き起こしていく章立てはとても面白くてグイグイと引き込まれた。そうかそういう解釈か!「普通の人々が自分のささやかな得意を活かして社会に参加できること、その得意を生業にして他の人々と交換の関係を結んでいくこと、そして広がる分業と協業の秩序が生活に必要な必需品と便益品を社会の隅々まで行き渡らせること」がスミスが求めた国富=貧困のない社会だと2018/02/08
お抹茶
2
近代社会とは,誰もが自らを尊厳ある主体として主張できる社会のことであり,物的にも精神的にも誰もが人並みの必需品と便益品を持てる生産量と分配の仕方が分業。著者は,人々が貧困に陥らないための条件を『国富論』で説こうとしたと解釈する。現代の競争は生産効率を向上させることだが,スミスの競争観は,独占の出現を防いで,人々が経済に参加する機会と権利を確保しようとするものだった。この収穫逓減を大型資本設備によって収穫逓増へと克服したのが資本主義経済。収穫逓増は個人企業には不向きであり,企業形態は株式会社へと変化した。2019/11/10
Sanchai
1
『国富論』の原典を読んでないのに読み直しの本から読むというのもなんですが、『国富論』が書かれた1776年当時の英国経済社会の状況を踏まえてもう一度読み直し、そこで描かれた市場経済や株式会社の理想像を踏まえて、現代を捉えなおそうという面白い取組み。さらにそれが福祉・教育・環境といった、これまで企業部門がなかなか参入しようとしなかった分野での社会的企業の台頭とつながっていくというのが興味深かった。自分がプロボノで関わっている取組みもその流れの中に捉えることができ、やる気をもらうことができた。2020/09/20
ひろゆき
0
☆☆☆☆・2018/06/24
猿田康二
0
アダム・スミスの「国富論」を著者は「貧困論」として読み直す。人々が貧困に陥る事なく「必需品と便益品」を得て人並みの生活を得るためには社会はどうあるべきかを説いた書であると著者は主張する。3章まで国富論の思想と乖離していく世界経済を国富論を読み解きながら現代まで辿っていったのち、4章からスミスが理想とした社会を実現する一端を社会的企業が担っている事を説く。著者は社会的弱者の横に寄り添いながら、スミスその人のように彼らが幸福をつかむためには社会はどうあるべきかを社会的企業を紹介しながら論じ、感銘を受けた。2018/02/15