目次
○第1部 第二次世界大戦終戦直後(1945〜1949)と戦争の記憶
第1章 第二次世界大戦の結果とその影響
第1課 第二次世界大戦の結果
第2課 新しい世界?
第3課 解放後のフランス(1944〜1946)
第4課 ドイツの終戦—「零年」?
第2章 第二次世界大戦の記憶
第1課 勝利の祝典から「記憶する義務」へ
第2課 ショア(ユダヤ人大量虐殺)の記憶
第3課 フランス人と第二次世界大戦——「ヴィシー症候群」
第4課 1945年以後のドイツとその記憶文化
第3章 冷戦の始まり—ヨーロッパを分断する新たな対立(1945〜1949)
第1課 大同盟の分裂
第2課 二極構造の国際秩序の成立
第3課 東と西にはさまれた占領下のドイツ
まとめ 第二次世界大戦終戦直後(1945〜1949)と戦争の記憶
○第2部 二極世界の中のヨーロッパ(1949〜1989)
第4章 東西対立(1949〜1991)
第1課 冷戦の激発期(1949〜1963)
第2課 緊張緩和と両陣営に対する批判(1963〜1975)
第3課 再発する緊張関係(1975〜1985)
第4課 東西対立の終わり(1985〜1991)
第5章 植民地帝国の終わり
第1課 植民地解放の第一波(1945〜1954)
第2課 植民地解放の完了
第3課 新興国の発展
第6章 ヨーロッパの分断
第1課 ヨーロッパを分断する「鉄のカーテン」
第2課 人民民主主義—「鉄のカーテン」の向こう側の諸国民と国家
第7章 ヨーロッパの建設(1945〜1989)
第1課 第二次世界大戦から生まれたヨーロッパ建設の理念(1945〜1949)
第2課 冷戦とヨーロッパ建設(1949〜1954)
第3課 EEC—計画期と発足初期(1957〜1979)
第4課 危機を乗り越えるヨーロッパ(1965〜1989)
まとめ 二極世界の中のヨーロッパ(1949〜1989)
○第3部 グローバル化した世界の中のヨーロッパ(1989〜現在)
第8章 ヨーロッパにおける冷戦の終結(1989〜2005)
第1課 人民民主主義国家の崩壊
第2課 ソヴィエト連邦からロシア連邦へ——世界強国の衰退?
第3課 冷戦後のヨーロッパ
第9章 1989年以降のヨーロッパ統合
第1課 ヨーロッパはどこまで拡大するのか?
第2課 ヨーロッパの深化—ヨーロッパにはどのような制度がふさわしいのか?
第3課 21世紀初めの欧州連合(EU)と世界
第4課 今日、ヨーロッパ人であることとは?
第10章 現代世界の紛争と脅威
第1課 不安定な世界
第2課 地球規模の問題
第3課 21世紀の世界秩序は?
まとめ グローバル化した世界の中のヨーロッパ(1989〜現在)
○第4部 1945年以降の技術、経済、社会、文化の変容
第11章 1945年以降の経済の変化
第1課 第二次世界大戦終戦時の経済
第2課 1945〜1973年の世界経済—成長と繁栄
第3課 1970年代以降に減速した経済成長
第4課 経済再建と危機打開策(1970〜1990)
第5課 グローバル化—幸運か不運か?
第6課 市場経済か計画経済か? 冷戦下の経済体制
第12章 世界の人口—生活条件と生活様式の急激な変化
第1課 世界の人口の推移
第2課 家族—現代社会の基盤か、時代遅れの規範か?
第3課 都市化と個人化—新たな社会に向かって?
第13章 1945年以降の世界における文化の変容
第1課 もっと知識を普及させるには?
第2課 情報社会か知識社会か?
第3課 「世界文化」に向けて?
まとめ 1945年以降の技術、経済、社会、文化の変容
前書きなど
監訳者解説
国際歴史教科書対話と独仏共通教科書(一部抜粋)
(…前略…)
2.歴史教科書にとって国境を越えることの困難
独仏共通教科書は関係国が二カ国に限られるとはいえ、基本的にはヨーロッパ共通の教科書を目指すのと同じ問題に直面せざるを得ない。
まず、両国の、特に連邦制のドイツにおける16州の教育課程をいかにして同時に満たすかという問題がある。今回は、本書が持つ政治的重要性ゆえにドイツ各州が大きく譲歩することにより解決が図られたが、ここではさらに、共通教科書作成の課題を達成するために後期中等教育が周到に選ばれた点に注目する必要があろう。すなわち前期中等教育で行われる歴史教育がその内容および学習者層の点で包括的な性格を持つのに対し、後期中等教育に学ぶ生徒は限られており、またそこでの学習はテーマを限定した深いものとなる。このような特殊性を許容しやすい前提条件が、教育課程への対応において共通教科書を可能にした大きな要因と考えられる。
しかし、より本質的な問題は当然のことながら、一国内はもちろん、なんと言っても両国間に歴史の見方の相違が存在することである。この相違に独仏共通教科書は、どう対処しているのだろうか。
これには、少なくとも二つの方針が採用されたと考えられる。
第一に、5部17章からなる本書の各部の終わりにはコラム「ドイツとフランス 交差する視点」が設けられており、ここからは、双方の視点を互いに学習するという方針をもって上記の問題への対応がなされている様子がうかがえる。戦後のアメリカの対ヨーロッパ政策や東ドイツの社会主義についての両国での評価は食い違っているといった指摘や、グローバル化についてドイツではそれを経済的な挑戦として捉えるのに対して、フランスではアメリカの文化帝国主義の脅威と受け止めるといった定式化は、両国間の共通点に目を向けるだけでなく、違いを学びあうことに価値を置く姿勢を象徴していよう。
これは、ドイツとフランスのあいだには、過去の理解をめぐる相違が外交問題に発展しがちな東アジアとは異質な歴史環境が存在することを示している。深刻な問題は既にほぼ克服されており、そのことがより深い相互理解への努力を可能としているのである。
しかし、本当の意味で共通教科書作成を難しくするのは、見解・評価が分かれるテーマよりも、むしろ一方の歴史教育にとっては重要でも相手国では軽視されていることがらであろう。
この問題に対処するために第二の方針として本書が事実上採用しているのは、既存の教科書が扱ってきた内容を部分的に削除し、関心が共通するテーマに焦点をしぼることである。たとえば、20世紀のアメリカとソ連の政治と経済といったようなドイツのギムナジウムでは一般的なテーマが、この教科書では扱われていないか、わずかに触れられるにとどまっている。本書はドイツとフランス以外の地域にも目を向け、とくに戦後世界の経済・社会・文化におけるグローバルな現象を重視しているとはいえ、独仏両国を中心に据えて統合ヨーロッパと戦後世界を捉える姿勢が全体を貫いているのは間違いない。これを背後で支えているのが、本書は後期中等教育用教科書として作成されたという前述の周到さである。
以上は、今回、修正を求められたのは両国の歴史研究ではなく、その歴史教育の考え方であることを示している。パートナーから学ぶという基本理念の導入、教育課程の弾力的運用、これらはいずれも歴史教育上の対応である。
歴史教育は、現実の社会的状況と歴史研究とのあいだに立って両者をつなぐ存在だが、独仏両国が協力してヨーロッパ統合を推進している現実と、その政治的意思が、既存の内容と方法をめぐる再考を促し、共通教科書を可能としたのである。
(…後略…)