目次
『ジェンダー史叢書』刊行にあたって
はじめに(赤阪俊一/柳谷慶子)
第1部 装う・着る・食べる
第1章 江戸時代の女性美と身体管理(鈴木則子)
第2章 異性装のジェンダー構造(赤阪俊一)
第3章 李朝の女性たちとチマチョゴリの政治学(朴美貞)
第4章 オトコメシ・オンナメシの発生(増田昭子)
■コラム■
色とジェンダー(徳井淑子)
日本近世の女性の喫煙——川柳を中心として(中村文)
第2部 住まう・暮らす
第1章 日本近現代の住居空間と日記時間(西川祐子)
第2章 朝鮮時代における両班女性の住居空間と女性文化(金庚美/金仙煕:訳)
第3章 北インド農村の住まいと女性の生活空間(八木祐子)
第4章 単身女性の住まい方——中世北西ヨーロッパにおけるベギンの居住及び組織形態(上條敏子)
■コラム■
「エヌシ座」の変容(服藤早苗)
現代イランの日常生活における男の領域と女の領域(マスーメ・ラメザーニ)
第3部 育む・看取る・祀る
第1章 介護役割とジェンダー——日本近世から近代へ(柳谷慶子)
第2章 近代ドイツにおける女性福祉職——ある女性福祉職員の日記から(中野智世)
第3章 死者祭祀とジェンダー(井上治代)
■コラム■
中国における伝統的ジェンダー規範と出産の近代化(姚毅)
子どもの養育と社会(西野悠紀子)
ルネサンスの捨子と「むごい母」(大黒俊二)
前書きなど
はじめに(赤阪俊一/柳谷慶子)
(…前略…)
本巻は三部構成となっている。第1部は、生活の基本領域である衣食住のうち、衣と食を扱う。(……)
鈴木則子「江戸時代の女性美と身体管理」は、身体のジェンダー管理を問題にする。さきほど生まれたときの身体には社会性がしるし付けられていないと書いたが、しかし社会はその裸の身体にすら、しるしを刻印しようとする。そしてその刻印はもちろん男と女で異なっている。女は、男の目に映ずる美を自分自身の美意識とすることによって、自分自身の身体をなんらかの規範にあわせて管理せざるを得なくなった。このような江戸時代の身体管理状況を、鈴木は江戸時代の女性向け出版物や大衆文学の記述から具体的に明らかにしている。
赤阪俊一「異性装のジェンダー構造」は、ヨーロッパ中世においては、セックスの垣根とジェンダーの垣根が一致していなかったと主張する。中世ではジェンダーの固定化が現代よりは明確であり、ジェンダー構造は身体構造に完全に依存していたであろうと想像されているが、実態はそうではなかったこと、ジェンダーのありようと身体構造の相違は、現代ほど緊密には関連していなかったことを異性装というジェンダー越境の試みを通して示す。
朴美貞「李朝の女性たちとチマチョゴリの政治学」は、衣服のもつ二重性に着目する。それを朴は「衣服は顕し、隠す」と表現する。そして衣服がその下にあるものを隠すものであるなら、その隠された部分で、女の自己主張が容易になるという。李氏朝鮮時代において支配的であった両班文化は、極端な男中心文化であったといわれているが、朴は、衣服に隠されたところで妓生が自己主張しえたことを豊富な図版で明らかにしている。
増田昭子「オトコメシ・オンナメシの発生」は、近現代の食をめぐる習俗をジェンダーの視点から考察する。家制度を基本におく家族の食事には、主食を中心に、家族の序列とともに、男女の序列が色濃く存在していたことを明らかにし、また食生活にかかわる女たちの仕事が、「仕事の外」と見なされた時代を経て、現代の利器を使い、省力化をはかることによって、重要な仕事として認知され、女たちが「主婦権」の獲得に至るまでの経緯をたどっている。
第1部には二つのコラムを掲載した。徳井淑子「色とジェンダー」は、色彩の適用における男女差が歴史的に一貫しておらず、きわめて恣意的であったこと、つまり色自体がジェンダー性を色濃く帯びていたことを明らかにしている。
中村文「日本近世の女性の喫煙—川柳を中心として」は、川柳を素材に近世の女性の喫煙風景を描き出す。くわえタバコで歩いている女性を見て、己のジェンダー規範の強いことに驚くことがある。だがこうした認識は、近代以降の歴史の所産であり、女性の喫煙に関して近世は、禁忌の観念も、社会的制約もみられないことを、中村は浮かび上がらせている。
(…略…)
第2部は、衣食住のうち、住をテーマとする。(……)
西川祐子「日本近現代の住居空間と日記時間」は、日本型近代家族モデルの変容を住まいのありようと、日記の書き手の変化を通して明らかにする。住まいという空間は近代家族の変容に応じて変わってきた。そしてその空間の中にいて日記をつづるという行為が意味していたことも大きく変わっていく。こうした変容を通して、近代国家の基礎単位である家族のジェンダー構造の変質が鮮やかにあぶりだされる。
金庚美「朝鮮時代における両班女性の住居空間と女性文化」は、李氏朝鮮時代には、女たちが隔離された空間の中に一種の閉じ込めの状態に置かれていたことを明らかにした。そしてその隔離、いわばゲットー化は、女たちを文化的に貧困にしたのではなく、逆にその隔離こそが李氏朝鮮時代の女の文化を育て上げたことを論証している。
八木祐子「北インド農村の住まいと女性の生活空間」は、現代の北インドにおける女たちの住空間の変質を取り扱っている。北インド農村の住居は、アンガンと呼ばれる空間を中心とした集団住居である。このアンガンは女の空間であり、男たちは食事のとき以外入ることができず、入ったとしても長居はしない。このような住居空間における男女の空間区分が、近代化の波の中で次第に形を変えつつあることを報告しながら、住居構造の変化から見えてくる男女の関係の変化を紹介する。
上條敏子「単身女性の住まい方—中世北西ヨーロッパにおけるベギンの居住及び組織形態」は、男性中心の時代における単身女性の住まい方に焦点を当てる。ヨーロッパ中世における単身女性の住まい方といえば、尼僧院での生活が連想されるが、尼僧院での生活と一見したところ似ているものの、世俗身分のまま単身女性が集まり住もうとする運動が存在した。それがベギン運動であり、そこから生まれた女性だけの集落がベギンホフである。男に依存しないで生きる女性にとっての一種の理想郷であるベギンホフの特徴を、上條は明らかにしてくれる。
第2部には、二つのコラムを掲載した。この二つのコラムは期せずして、家の中における女の空間を扱う。服藤早苗「『エヌシ座』の変容」は、空間内における座の位置が、男女関係を象徴的に表出していることに着目し、住居内における夫と妻の座の位置関係の、平安朝期から現代に至るまでの変容過程を追いながら、妻の座が、邸宅の主としての位置から、次第に「奥」の空間という位置へと変化してきたことを明らかにする。
マスーメ・ラメザーニ「現代イランの日常生活における男の領域と女の領域」は、現代イランにおいては、台所ですら女の空間ではないことを報告してくれる。また男性の空間と女性の空間が完全に分離されているありよう、それに対して、女性たちが男性空間への参入要求をしている現代の状況が語られる。
第3部は、生活領域のうち、人として生きることに直接関わるテーマとして、養育、看取り、死者祭祀をめぐる問題を扱い、あわせてこれを支える社会や制度・政策を含めた福祉のありように関心を向ける。(……)
(…中略…)
柳谷慶子「介護役割とジェンダー—日本近世から近代へ」は、家族の介護をめぐるジェンダー構造が歴史的にどのように成立してきたのかに関心を寄せ、日本の近世社会の特徴を捉えようとするものである。介護役割が女性に規範化され固定化した近代と異なり、近世は、家が社会の基本単位であり家族員を扶養する機能を担ったことで、家を統括する当主および跡取りの男性に介護の責任が課せられ、当主のもとで男女がともに介護にかかわる姿があったことを示す。
中野智世「近代ドイツにおける女性福祉職—ある女性福祉職員の日記から」は、ジェンダーによる領域分離がどのような歴史的文脈において形成され制度化されたのかを、二〇世紀初頭のドイツ社会に即して分析する。中野によると、現代ドイツにおいて福祉職は女性優位の職業であるが、それは「自然と」そうなったのではなく、むしろ女性側のイニシャティブによって作り出されたということ、そしてそれを推し進める原動力になったのは、女性特有の能力としての対人援助を重視する母性主義であったという。しかしながら二〇世紀初頭には、その母性主義重視が逆に女性福祉職を男性による福祉事業の補助職としてしまったことを、ある女性福祉職員の日記を分析することによって明らかにする。
井上治代「死者祭祀とジェンダー」は、祖先を祀るという、かつては「家」制度の中核をなしていた事象の変容をとらえながら、「家」に関する女の意識の変化を考えようとする。「家」という単位で祖先祭祀を考えるとき、かつての男系中心主義が壊れたあと、どのような墓のありようがあるのだろうか。もし死後誰かに供養してもらいたいとの意識があるなら、それは重要な問題である。従来の「家」制度にがんじがらめであったのは、女だけではなく、死に行く者すべてであったことが墓を通して見えてくる。
第3部のコラムは三つとも子どもをテーマにしている。
姚毅「中国における伝統的ジェンダー規範と出産の近代化」は、伝統的に出産領域において男性医者がその権威であったが、出産の近代化に伴い女性医者が増大してきたが、それは「男女有別」という伝統的なイデオロギーによりながらなされてきたことを示してくれる。
西野悠紀子「子どもの養育と社会」は、古代日本において、主に子どもの養育を受け持ったのは誰かについて教えてくれる。この時代、子どもの養育の第一は父親ではなく母親であり、その結果、子どもの意識の中に父親の存在はほとんど意識されなかったという。平安朝期には捨て子事情もまた深刻化したが、捨てられた子どもの多くは男児であったことを紹介している。
大黒俊二「ルネサンスの捨子と『むごい母』」は、ルネサンス期・フィレンツェの捨て子を通して、「男で出来ていた『家』」で、捨てられる子ども、早く寡婦になった女の生きようのなさ、実家に帰ってしまった母に見捨てられた子どもの悲劇を教えてくれる。なおこのとき捨てられた子どもは、平安朝期とは逆に女児であったという。
以上の諸論文・コラムを通して、ジェンダーとは無関係であると思われがちなモノやコトですら、ジェンダー性を色濃く帯びていることが明らかになったであろう。我々がなにげなく手にするモノや、意識しないでおこなっている行動が、ことごとくジェンダー規範に絡め取られていることが納得されれば、本巻の役割が果たされたことになる。