出版社内容情報
デカルトの精神を復権させつつ,デカルトを越えて超越論的現象学へ.1929年のパリ講演「超越論的現象学入門」をもとに,明証性の学としての現象学を叙述し,他者性・間主観性の問題を俎上に乗せた,晩年の主著.
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kaizen@名古屋de朝活読書会
40
#説明歌 フランス語新デカルト派フッサールパリ講演だデカルト講堂 講演そのものが何語でされたかは知らない。出版はフランス語が最初とのこと。https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/78451/c7abf34912a7a86cd8f2fa2b65cb144b?frame_id=4076442018/12/22
絹恵
33
事あるごとに神を持ち出して、判断を停止させることはしないというだけでもフッサールはデカルトとは異なると言えます。またそれを皮肉ることもしないことから、堅実な現実を見ていたことが窺えます。そしてデカルトを内包して行くことは選ばず、彼のその先を見ようしたことが結果的に自我に繋がっていったのだと思いました。(PSYCHO-PASS気まぐれな犯罪者たちより槙島"フッサールとメルロ=ポンティの中間地点")2015/04/11
春ドーナツ
13
ついに第五省察において間主観性がでてきた。相互主観という訳語が定着して欲しかった。判断停止(エポケー)と現象学的還元を前提として、超越論的主観性(「私」も廃去されて、純粋な我(エゴ)が残される)という観点から、他者(認識する主観性を持った人間)を客観的に把握するためのプロセスが語られる。第四省察までの展開とは別物である。ぽっと出の術語が入り乱れ、かなり集中して読んだけれど、素人ながら現象学では他者問題は扱えないんじゃないかと素朴に思う。とっかかりは自我の複製として認識する。でも自我って「私」が含まれるよね2024/03/03
∃.狂茶党
9
いったん考え抜いたものの、結論も付されているものの、当人的には完全版ではなく、道半ばの本であるようだ。 解説によればフッサールは、速記によって思考を書きつけ、絶えず更新するような人であるらしい。 厳密かつ高速な、フッサールの思考は、たった一行が咀嚼を要求し、重たくなるほどに積み重なっており、非常に難しい。 とはいえ、わかりやすさを優先した翻訳と、慣れもあって、少しとっかかりのようなものは見えてきた。 世界は存在する。 我が思うことによって我と世界が生み出される。 2022/10/21
coaf
8
シュッツによる現象学的社会学の元となったフッサールを読もうということで、現象学の入門書とされる本書を読んでみたが、難しかった。内容自体はそれほど難解ではないのだろうが、いかんせん言い回しや論理展開がごちゃごちゃしていて分かりにくい。哲学初心者が一度読んだくらいで理解できる本ではない。2013/09/20