内容説明
記憶女神ムネモシュネの娘たちが司る、文化の基部に記憶された芸術の原形態が、歴史とジャンルとヴィルトゥを超え、“精神の秘文字”“時代の書跡”としてくりかえし、表現/表出される芸術想像の秘密を今明るみに。
目次
第1章 「詩ハ絵ノ如クニ」
第2章 時が真理のヴェールをはがす
第3章 メディアは多様でも構造は同じ
第4章 調和と蛇状曲線
第5章 曲線と貝殻
第6章 望遠鏡的、顕微鏡的、そして写真的構造
第7章 空間と時間の相互浸透
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
roughfractus02
6
文字と絵を分離したのは印刷革命以後だという。活版文字を組む職人と挿絵を印刷する職人の分業化だけでなく、芸術家が作家と画家に分業化するのである。本書は近代の紙製メディアが作った常識を前提とする読者の足場を揺るがす。アプリオリなものこそ歴史的である、と指摘する著者は、記憶の概念を細部にまで徹底し、異なる表現様式(文学と絵画)に歴史的類似性を見出していく。ホメロスに触発された後の時代の芸術の時代的痕跡は他の時代とは異なり、それらは物語の流れでなく、描かれる衣服の装飾や使用される言葉の頻度等から知ることができる。2019/09/12
あかふく
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7か月ぶりに再読。前田塁『紙の本が亡びるとき?』および『文学界』の鼎談とかを読むと、電子化にともなう意味の専制が危惧されていて、やはりアイコノテクストという発想から読んでいかなければならないと思えてくる。それゆえ、プラーツ自体も、未だ鋭さを失わない本として読むことができると思う。2012/07/21
てことこ
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kulturgeschichteのために2009/04/22