内容説明
「精神病患者はなぜ妄想を語るのだろうか?」「彼らは妄想を語りながら治療者に何を求めているのだろうか?」という日常的な精神科臨床の疑問から、精神病を決定づける「構造」の問題にラカン派精神分析の立場から答える臨床実践講義。また、治療者はそれに対してどう関わるべきか、関わるべきではないかを論じた注目の一書。
目次
1 非病相期の精神病的構造
2 発病とその変遷
3 精神病の鑑別
4 精神病的転移
5 妄想とは何か
6 症例についての討論
7 最後に
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
34
22
ラカン派のドグマでは神経症・倒錯・精神病という三つの診断カテゴリーは根本的なもので、基本的には境界例は認められない。それらは、ラカンが「父の名」と呼ぶ父性機能(父性隠喩とも)との関係から定義される、「主体の構成」という側面から区別される。父性機能は世代間を垂直に、否定的な仕方で(抑圧を通して)受け継がれていくものである。精神病ではこの抑圧が存在しないため、主体は妄想によって父性隠喩を擬似的に構築し、性的なトポスを確保しなければならない。そこに精神病者にとっての「妄想的隠喩」の積極的な効能があるとされる。2017/08/14
Z
6
良書。精神病の妄想は症状=健常の状態ではないのだが、その妄想自体は健常な状態を目指した復帰の過程でもある。この本はその事をラカン派の枠組みで確認するとともに、精神病、神経症などを病というよりも各自の歴史で形成された心の構造と捉えるラカン派にとって疑問となる健常状態の精神病者はどのような特徴か、また社会の変化によって病の質が変わってきており、その事に関する考察がなされる。類書は近年多いのであるが、臨床例から医者との転移の関係で精神病と倒錯者の違いを述べたところが初めて知った点で勉強になった。2022/09/10
PukaPuka
5
なぜ妄想を語られると,体の奥底から言いようのない不快感が立ち上がり,早く薬で症状を抑えたい(妄想を潰してやりたい)という気持ちになるのか,「自分の主体性の基盤ではあるけれど,それについては知りたくないことが上演されている劇を目の当たりにするようなもの」あたりのくだりを読んで,とても腑に落ちた。今まで読んだ「シニフィアンがなんとかかんとか」と書いてる本の中で,もっとも臨床的に理解しやすい本であった。名著だと思う。2019/02/21
tk
0
メモ 2011/12/17