講談社選書メチエ
対話の哲学―ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜

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  • サイズ B6判/ページ数 220p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784062584265
  • NDC分類 139
  • Cコード C0311

内容説明

“わたし”は世界の中心ではない。“あなた”から語りかけられるときに初めて“わたし”が生まれるのだ。コーヘン・ローゼンツヴァイク・ローゼンシュトックなど、本邦未紹介の近代ドイツのユダヤ哲学とフンボルトの「双数的」言語論を起点に、プラトン以来2500年の自己中心主義の呪縛を解く。

目次

序章 現代の思想状況と二〇世紀転換期のドイツ・ユダヤ人
第1章 ドイツ・ユダヤ人と啓蒙主義
第2章 関係は関係なきもののあいだになりたつ―ヘルマン・コーヘン
第3章 西洋哲学はモノローグの思考である―フランツ・ローゼンツヴァイク
第4章 モノローグの言語から対話の言語へ―プラトン、オースティン、フンボルト
第5章 対話の一般的構造

著者等紹介

村岡晋一[ムラオカシンイチ]
1952年生まれ。中央大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科博士後期課程中退。現在、中央大学理工学部教授。専門はドイツ観念論、ドイツ・ユダヤ思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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どみとる

5
全ページが金言。哲学でありながら驚くほど実践的。「我思う故に我あり」に代表される近代哲学の絶対的自己に対し、著者はドイツユダヤ思想を紹介しながら〈私〉を〈君〉という存在を通して初めて知覚され得る「関係的実存」だと説く。この対話哲学によれば、〈君〉つまり聞き手が実は対話の生殺与奪を握っている(命令でさえも!)。「君を愛してる」は「俺を愛してくれ」。〈君〉の行為にすがるしかない無防備な〈私〉の表れだ。ただし反論もある。ichを俺、duをてめえと訳したとき、果たして対話はモノローグでないと言い切れるかな?2020/09/03

masawo

4
「対話」という斬新な視点でユダヤ人思想家たちの議論を紐付けていく。まるで著者の授業を受けているような感覚になるので、未知のトピックにもかかわらず読みやすかった。言語から攻めるアプローチは興味深かったがユダヤ教との関連性については言及されず。2020/04/22

♨️

4
『出エジプト記』の「わたしはある。わたしはあるという者だ(der ich bin.)」という神の自己紹介からは、神が「人称」を本質とすることが導かれる。こうしたユダヤ教の考えは、プラトン以後の神による存在の分有のアイデアや単純な神から私に対する啓示のアイデアと対立してしまう(分有すべき存在を神は持っていないうえ、神が存在でない以上、単純には神と私とを並べて考えることはできない)。こうした困難から〈私〉〈君〉の間をめぐり西洋哲学の本流では扱われなかった議論がなされることになる。2019/03/27

左手爆弾

4
「イスラエルよ、聞けShema Yisrael」に象徴的に現れるような、ユダヤの対話思想。19世紀末〜20世紀にかけて、ユダヤの民はドイツの中での生き方の変革を迫られる。その際、大事なのは相手と同一化してしまう(新プラトン主義的な)のではなく、自己を保ちつつ相手とうまくやっていくこと、すなわち対話である。西洋思想のモノローグ批判、言語哲学的対話論、新カント派やローゼンツヴァイクなど、盛りだくさん。最後は、日本における対話は「聞く」「待つ」が欠けていることを指摘している。2014/06/10

endormeuse

1
ローゼンツヴァイク目当てで読み始めたが、むしろヘルマン・コーヘンというあまり言及されることのないユダヤ哲学者の他者論を概観する第二章がとてもよかった。モノローグの自閉を超え出る、〈私〉と〈他者〉とのダイアローグとはいったい何か。コーヘン(を含む新カント派)を扱った類書も乏しいようなので、このように入手しやすく平易な解説書があるのはありがたい限り。2020/05/23

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