講談社学術文庫<br> だれのための仕事―労働vs余暇を超えて

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講談社学術文庫
だれのための仕事―労働vs余暇を超えて

  • 鷲田 清一【著】
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  • サイズ 文庫判/ページ数 208p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062920872
  • NDC分類 366
  • Cコード C0110

出版社内容情報

仕事と遊びの二分法が無意味になりゆく現代、我々の活動とその価値はどう方向づけられるか。ポスト産業社会の、労働の未来像を探る。「働く」ことと「遊ぶ」こと
われわれの日々の活動とその価値はどこへ向かい、どのように変化してゆくのか

たのしい仕事もあればつらい遊びもある。仕事/遊び、労働/余暇という従来の二分法が意味を消失した現代社会にあって、わたしたちが生きることを支えているものはなにか、それは「働く」ことと「遊ぶ」こととどのようなかかわりがあるのか――。人間性の深みまで掘り下げて労働観・余暇観の歴史にせまり、人間活動の未来像をさぐる、清新な労働論。

わたしたちが仕事のなかにもとめる移行の感覚とは、未来のために現在を犠牲にする<前のめり>のものではなく、むしろ同時的なものであろう。それは他者との関係のなかで<わたし>の変容を、そして<わたしたち>の変容を、期するものであるから。「希望はつねに帰郷であるとともに、何かある新鮮な新しいものである」。<希望>という、この美しいことばで、「途上にある」という移行の感覚を表現したのが、ガブリエル・マルセルであった。――<本書第四章より>

※本書の原本は、1996年、岩波書店より刊行されました。

第一章 前のめりの生活
第二章 インダストリアスな人間
第三章 深い遊び
第四章 <労働>vs<余暇>のかなたへ
補章 いまひとたび、働くことの意味について


鷲田 清一[ワシダ キヨカズ]
著・文・その他

内容説明

たのしい仕事もあればつらい遊びもある。仕事/遊び、労働/余暇という従来の二分法が意味を消失した現代社会にあって、わたしたちが生きることを支えているものはなにか、それは「働く」ことと「遊ぶ」こととどのようなかかわりがあるのか―。人間性の深みまで掘り下げて労働観・余暇観の歴史にせまり、人間活動の未来像をさぐる、清新な労働論。

目次

第1章 前のめりの生活(“線”としての人生;前のめりの時間意識;ビジネスという感覚)
第2章 インダストリアスな人間(“インダストリー”というエートス;“生産”という鏡;労働の倫理から欲望の戦略へ)
第3章 深い遊び(仕事の貧しさ、遊びの貧しさ;ディープ・プレイ;テレオロジーから離れる)
第4章 “労働”vs“余暇”のかなたへ(“家事”という仕事;“ヴォランティア”というモデル;ホモ・ヴィアトール―あるいは、途上にあるという感覚)
補章 いまひとたび、働くことの意味について

著者等紹介

鷲田清一[ワシダキヨカズ]
1949年生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科哲学専攻博士課程修了。関西大学、大阪大学で教授を務める。前大阪大学総長。現在、大谷大学教授。専攻は哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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WATA

43
「労働と余暇」という視点から、明日のために今日を犠牲にする生活の問題点を示す思想書。本書によれば、現代の人々は予定をびっしりと埋めすぎる、偶然を排除してすべてを計画的・効率的に進めようとしすぎるという。それは将来のために今日を無駄なく使うべき、という価値観の現れであり、その価値観により労働は余裕のない苦しいものになり、余暇は逆に目的のない空虚なものになっているという。解決方法は自律的に他者と直接かかわる仕事して満足を得ましょう、というありがちな答えだったが、現代社会を労働と余暇から分析する切り口は鮮やか。2014/03/12

mitei

40
すこしカタカナ言葉が多かったが、そもそも労働と余暇で対立するという構造自体が近代社会なのだということがわかった。2012/01/16

ゆう。

34
鷲田さんは、僕には少しぼんやりとしかつかめず、言わんとしていることが理解できないという自分の勉強不足を痛感します。著者は労働VS余暇という対立物でみることに対して疑問を投げかけているのだと思います。労働も遊びも愉しみであるためにはどうすればいいのか、一体的に捉えることができないために労苦となっているのではないかという問題意識があったように思います。資本主義社会においては労働は搾取されています。しかし労働は人間性を高めるものでもあり、余暇と労働が人間発達に果たす役割は大きいと思いました。もっと学ばなければ!2017/11/24

樋口佳之

31
今村仁司によっても指摘されている。「〈社会主義〉の諸思想と諸システムが、基本的な人間活動としての労働の了解様式に関しては、〈資本主義〉といささかも変りがなく、いやむしろ〈資本主義〉以上に〈労働の尊厳〉なるものを極端にまで引き伸ばしてみせたこと、おそらくそこに現代の最も根源的な問題─ひょっとすると回復不可能な〈労働主義〉の過剰展開─が横たわる/直近で読んだ本に影響受けてますが、「必然の国」「真の自由の国」に関わる議論では。2019/03/13

寛生

31
『働くこと』とは何かと考えていく上で重要な文献だろう。鷲田先生らしい文体で書き進められて、例えば、『社会に入る、出る」という表現から、『社会』というものが何であるかと問い、日本人がどうして人生を一本のラインとしてイメージするのかと、彼の問いは進んでいく。だが、それに代わる時間のモードが提示されているわけではない。個人的には、鷲田先生がどこかでおっしゃられていたことと、この著書でも重複があるのが気になるが、それも『働く』ということの意味を考えると、「工場所有者が最も嫌うべき気まぐれと怠惰』なのかもしれない。2013/09/14

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