出版社内容情報
顕如(1543年から1592年)戦国・織豊時代の僧
十六世紀後半、当時大坂にあった本願寺の第十一代法主に就任した顕如は、本願寺領国となっていた加賀国の大名でもあった。戦乱の時代に教団存続のため門徒を率いて織田信長らと対峙した宗教者の生きざまを描く。
内容説明
顕如(一五四三~一五九二)戦国・織豊時代の僧。十六世紀後半、当時大坂にあった本願寺の第十一代法主に就任した顕如は、本願寺領国となっていた加賀国の大名でもあった。戦乱の時代に教団存続のため門徒を率いて織田信長らと対峙した宗教者の生きざまを描く。
目次
第1章 戦国の本願寺法主
第2章 北陸諸大名との交渉
第3章 足利義昭政権の下で
第4章 織田政権の下で(一)―「天下人」との対決
第5章 織田政権の下で(二)―大坂退去と和睦
第6章 豊臣政権の下で
著者等紹介
神田千里[カンダチサト]
1949年東京都生まれ。1983年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学、博士(文学)。元東洋大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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MUNEKAZ
10
ともすれば信長に敵対する狂信者ともされがちな顕如を、「室町幕府体制に参画する加賀国の戦国大名」と捉え、実像に迫っている。上杉・朝倉など周辺大名と境目争論を繰り返し、信長との「石山合戦」も姻戚である武田信玄や足利将軍家との関係で見れば、他の戦国大名の戦いと変わりがない。ただ宗教者として、全国の信者の安寧を重視しているのも印象的で、大坂退去後、天下人と認めた信長との関係を速やかに修復したり、秀吉との繋がりに心を砕くなど、常に権力者の庇護を求めている。本願寺の東西分裂の遠因となった息子・教如との確執も興味深い。2020/06/13
keint
6
顕如を中心に戦国期本願寺の動向を政治的な要素も交えて解説している。本願寺が室町幕府の体制の一部であり、各大名が本願寺に対して友好的であることが理想という考え方に照らせば、石山合戦に至るまでの道やその後の織豊政権への接触という流れも理解できた。 また、上杉と北条の和睦のために相模や越後の門徒に献金を求めたということや、如春尼の教団内での影響力など興味深いトピックがたくさんあった。意外ではあったが、東西分裂の原因である准如への譲り状が本物か偽物かどうかはまだわからないらしい。2020/12/30
六点
6
日本最大の仏教教団を率い、「天下人織田信長」と戦い続けた宗教指導者の評伝。と、言うには意外と程遠い、周囲や地方の状況に頤使されて、「親鸞以来の仏法の家を自分が潰すかも」と、懊悩したりしている所に、是迄の「カリズマティックな宗教指導者」たる姿は無い。政治権力から教団を護るため「教団と門徒を護るため権力と良い関係を築こうとする、具体的にはお金で」つもりが権力者側が分裂したり、門徒集団が分裂すれば、一方に肩入れすることになるのだ。所々に引用される御文は出される相手に寄り添い、変化する事に著者と感動をともにした。2020/11/13
オルレアンの聖たぬき
3
今年読んだ中で一番読みごたえがあった。そして詳しい。本願寺の一向一揆の本質をこれまで読み違えていた。一向一揆は単なる天下への民衆の反抗ではないことがよくわかった。2020/11/29