歴史文化ライブラリー<br> 自由主義は戦争を止められるのか―芦田均・清沢洌・石橋湛山

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歴史文化ライブラリー
自由主義は戦争を止められるのか―芦田均・清沢洌・石橋湛山

  • 上田 美和【著】
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  • サイズ B6判/ページ数 222p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784642058261
  • NDC分類 281
  • Cコード C0320

出版社内容情報

〈寛容〉と〈自律〉が対立する戦時下での芦田・清沢・石橋らの苦闘を探り、「自由主義は戦争を止められるのか」という問題に迫る。個人の信条から政治・経済政策まで多様な意味をもつ自由主義。その二大要素である〈寛容〉と〈自律〉が対立する戦時下に、芦田均(政治家)・清沢洌(外交評論家)・石橋湛山(経済ジャーナリスト)の自由主義者(リベラリスト)たちは、日中間対立をどう認識し、解決しようとしたのか。「自由主義は戦争を止められるのか」という、世界が今なお直面する問題に迫る。



自由主義とは何か―プロローグ/芦田 均―議会政治家の自由主義(外交官から政治家へ/満洲事変と国際連盟/外交孤立化に抗して/拡大する戦争)/清沢 洌―外交評論家の自由主義(中国革命への寛容/満洲問題と日本/論争「自由主義とは何か」/自由主義者のナショナリズム/外交の復権を目指して)/石橋湛山―経済ジャーナリストの自由主義(小日本主義のなかの寛容と自律/寛容と自律、両立の模索/戦時下の自律をもとめて/行き詰まる寛容と自律)/不寛容時代の寛容と自律―エピローグ

上田 美和[ウエダ ミワ]
1973年、神奈川県に生まれる。早稲田大学大学院文学研究科博士課程史学(日本史)専攻単位取得。博士(文学・早稲田大学) ※2012年2月現在【主な編著書】「石橋湛山の中国論の再検討」(『史観』144、2001年)、「石橋湛山の政党論」(『近代日本の政党と社会』日本経済評論社、2009年)

内容説明

個人の信条から政治・経済政策まで多岐にわたる自由主義。“寛容”と“自律”が対立する戦時下での芦田・清沢・石橋という自由主義者の苦闘を探り、「自由主義は戦争を止められるのか」という現代がかかえる問題に迫る。

目次

自由主義とは何か―プロローグ
芦田均―議会政治家の自由主義(外交官から政治家へ;満洲事変と国際連盟;外交孤立化に抗して;拡大する戦争)
清沢洌―外交評論家の自由主義(中国革命への寛容;満洲問題と日本;論争「自由主義とは何か」;自由主義者のナショナリズム;外交の復権を目指して)
石橋湛山―経済ジャーナリストの自由主義(小日本主義のなかの寛容と自律;寛容と自律、両立の模索;戦時下の自律をもとめて;行き詰まる寛容と自律)
不寛容時代の寛容と自律―エピローグ

著者等紹介

上田美和[ウエダミワ]
1973年、神奈川県に生まれる。2008年、早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。現在、早稲田大学講師、博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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Noribo

7
国内外で自由主義と相反する勢力がじわじわと勢いを増しています。本書は芦田均・清沢洌・石橋湛山という3人の自由主義者が戦時期の日中関係にどのように向き合ったのか、自由主義の構成要素である(中国への)寛容と(自国の)自律を軸に研究したものです。当時の帝国主義、軍国主義一色の社会にあって、経済合理性を主張して中国等の民族自決に理解を示し米英等との国際協調を訴えましたが、これは命の危険を伴う勇気ある行動でした。これには尊敬しかありません。中で芦田は私の出身高校の旧制中学期の先輩でして、とても誇らしいです。2023/04/28

6
(冒頭で自由主義を寛容と自律と定義し、その枠組みで三者を論じた際の寛容の扱い方がイマイチうまくいっていない気がするものの、)おもしろかった。現在、中国の台頭、ウクライナ危機、元首相の暗殺などが起こっている。また、私自身はリベラリストかつデモクラットかつリアリストでありたいと思っている。そのようななかで、20世紀はじめ〜戦後にかけて、自由主義者が言論の自由や軍備拡張などにどう向き合ったか(そしてどのように/なぜ敗北したのか)は、非常に重要かつ現代的な問題だと考えている。蠟山政道や戸坂潤らについても調べたい。2022/07/24

バルジ

2
「自由主義」に「戦争」という視座からその可能性と限界を論じる好著。本書では芦田均・清沢洌・石橋湛山の3名から自由主義の孕む限界を明らかにする。彼らはともに中国ナショナリズムへの理解を示すとともに国際協調を説いた論者である。同時代としては稀少な論者として今もなお色褪せない言論活動を展開したが彼らは戦争へと至る道に抗いながらも抗いきれない。それは自由主義に内包されていたナショナリズムが一定の限界を与えたからである。彼らは自由主義者でありナショナリストとして後者の自覚を捨てきることは出来なかったのである。2024/03/23

rubeluso

1
本書で取り上げられている三人いずれも、国際協調や経済合理性重視の姿勢をもち、「寛容」と「自律」をモットーに自由主義の立場から戦争に反対した。しかし、戦時においては寛容と自律は反転し、あるいは自由主義はナショナリズムにも通じて戦時体制を容認する言説すらも彼らから出てきてしまう。三人の自由主義者の戦前戦中の言説を追っているが、共通するのは「満州国」がボトルネックであり、「満州国」を前提とした、あるいはせざるを得なかった点で既に道を誤っていたのではないかという印象を受けた2016/09/06

mdsch23

1
清沢洌のパートが気になり購入。「暗黒日記」は読みやすくかつ戦中の噂話から事実まで様々な情報と意見が載っており大変重要な資料ですが、そこでうっすらと感じた現代的民主主義とどこか外れた植民地化観について本書で簡単ながら解説をされている。清沢洌氏の思想のアウトラインを知るのに良い本だと思う。2016/06/08

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