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方法としての詩歌 from books.google.com
[執筆者]武原弘/前田透/佐佐木幸綱/佐藤泰正/関根英二/安森敏隆/谷川俊太郎/後藤武士/徳永暢三/樋口日出雄/中村都史子
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... 方法としてまさしくデリダ流のデュンストリュクシオンの方法が先取りされているが、そこでソシュールがいきついた問題は、偶発的な<出来事>と体系性の対立のあるところでは通時態と共時態、ラングとパロールの二分法がもはや成立しえなくなるということで ...
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... 詩歌が國文として最も短少なる形式であるから、その象徴的表現方法が單に、こゝになる。いま、かくの如き短少なる形式に於 ... 詩歌は片言雙語を記したといふ以外に何等の意味をももち得ない。然るに、先に述べた如く、國文學は、その表現方法として象徴的 ...
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... 手段として情景に触発される方法だけではなく、「造景」を用いているという蔡建鑫氏の为張がある。18「造景」とは眼前の現实から離れて、詩中で空想的な美景を創り出すことを示しており、蔡建鑫氏はこの手法を啄木と比較した際の王白淵の特徴として強調 ...
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... 詩(少年詩・幼年詩)のすばらしさとはそんなことだと思う。感情移入とは、対象のなかに自らの心を融かしこんでしまうこと、擬人法は、その結果としての詩(方法のことである。詩において、とりわけ子どもの詩においてそれが多用されるのは、詩がもともと ...
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... やり方は少しばかり滑稽だし、かなり人を馬鹿にしたものだが、ちょっとした教育的な要素や教科書的な主題...真面目で、ときに「難解」な詩を放送しようとすれば避けて通ることのできないものだ······をくだけた議論として演出することでずっと身近に ...
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は、あくまで氏が宮廷詩宴の様相を解明するための方法として設けたものであって、史上の「公宴」「密宴」の語の用例と完全に重なるものではないことに注意する必要がある。氏の指すところの〈公宴〉は、「天皇を頂点とした身分秩序を視覚的にも確認させ ...
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... 方法」を統一的に持っていることから、当然のことであるといえるのでしょう。たとえば「三年・国語・新しい目」の詩の学習です。ここでは、第四次の学習として、五行詩を書く学習が展開されます。教科書の詩を学習したあとで、「詩を書いてみよう」という ...
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... 詩には、どうしてこの粋な伝統の「俳心」が見られないのだろうか。諷刺とかパロディという方法は、俳句や短歌にも川柳や狂歌として存在するが、詩には狂詩も俳詩もないのである。あるとしてもそれは精神としてあるだけで、形式あるいは方法として確立され ...
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... としての詩人の基礎的な常識です。性質としてオリムピック選手に生理學を説くやうなもので、相互的にあまり大して意味はない。僕は貴方がそれをいかに藝術の方法として、或ひは文學とし反對に答ふ他五件そかを聞きす。さういふものが今日の詩人に最も必要 ...