内容説明
二十代、人工透析。三十代、腎臓移植。四十代、移植腎の不全・人工透析再開。五十代、腹膜透析。ルネサンス研究者である著者は、若くして腎臓を病み、以後肉体の理不尽に翻弄されつつ、いのちの“再生”を我がこととして、生きてきた。そこで直面した生と死、身と心のかたちとは?抽象的な「身体」でなく、生身の「肉体」を軸に、当事者の立場から“いのち”の倫理を考える。
目次
第1章 腎臓移植を受けた者として(臓器移植体験者として;移植された臓器が死んだ日 ほか)
第2章 透析・移植医療あれこれ(摘出されなかった移植腎;体験者無視の不毛さ ほか)
第3章 「からだ」を見つめて(肉体の仮称性―身心と心身;毀形―「異状」という「生」 ほか)
第4章 他者からの視線(身障者の保険加入を拒む「病歴」;理不尽、その正逆 ほか)
第5章 「いのち」に向き合う(仏教者の視点;「こころ」と向き合う ほか)
著者等紹介
澤井繁男[サワイシゲオ]
1954年札幌市生まれ。東京外国語大学卒業、京都大学大学院修了。博士(学術)。イタリア・ルネサンス文化専攻。作家・関西大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うたまる
1
人工透析、腎臓移植を経験した著者の生命観と身体観についての考察。どいつもこいつも現場視点が欠けている、と著者は憤る。学者も医師も宗教家もだ。まあそりゃ、臨死体験者からすればそういう感想を抱くのも無理ないかもしれない。それならその体験者の見解を教えてもらおうじゃないの、と読んでみる。曰く「生命ではなくいのち」「身体ではなく肉体」「いかに生きるかではなくなぜ生きるか」ときた。はい、分かりません。さっぱりです。理解するには読解力よりもやはり実体験が必要なのか?尚、3章が最も難解だが、それ以外ならそこそこ頷ける。2017/02/12