シュミットは議会はギゾーが言ったような真理追求の場ではなく、政党間の談合、経済的な結びつきによる討論で進んでいると指摘している。
シュミットがいかにワイマール憲法下の議会主義に対して失望していたかを読み取ることが出来る。
我が国においても、昭和初期に二大政党制が確立したものの、反対政党のバッシング、票田になる財閥、地主の擁護者になり、国民から支持を失ったことを思えば、議会制民主主義の問題点の指摘は正鵠を得ている。
シュミットはナチズムの擁護者になったが、それは国民利益を直接に独裁制により達成するヒトラーに魅了されたのであり、彼が大衆に喝采される英雄が世論をリードする国家を志向したからだろう。
そういう経歴があるものの、彼の議会制民主主義の批判は現代日本でも充分通じるであろう。
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現代議会主義の精神史的状況 他一篇 (岩波文庫) 文庫 – 2015/7/16
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のちにナチスの桂冠法学者となるカール・シュミット(1888―1985)が、自由主義に対する体系的批判を行った初の著作。不安定なワイマール体制への幻滅から、議会主義の精神史的な基礎は過去のものになったとし、議会主義と民主主義の連関を切断する。独裁理論を考察し、ドイツの新しい政体を暗示した問題作。1923年刊。
- 本の長さ192ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2015/7/16
- 寸法10.5 x 0.8 x 15 cm
- ISBN-104003403010
- ISBN-13978-4003403013
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2015/7/16)
- 発売日 : 2015/7/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 192ページ
- ISBN-10 : 4003403010
- ISBN-13 : 978-4003403013
- 寸法 : 10.5 x 0.8 x 15 cm
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2017年3月28日に日本でレビュー済み
議会主義の本質は、公開性と討論であると、シュミットは定義する。
しかし、第一次世界大戦後のドイツでは、ワイマール共和国の元で、その本質が失われてしまったという。
シュッミットは、その失望を持って、やがてナチスを支持していくことになる。
現在の議会主義の状況は、むしろ当時よりも悪くなっているかもしれない。
現代の政治状況を考えるにあたり、シュミットの批判は、今でもその有効性を失ってはいない。
しかし、第一次世界大戦後のドイツでは、ワイマール共和国の元で、その本質が失われてしまったという。
シュッミットは、その失望を持って、やがてナチスを支持していくことになる。
現在の議会主義の状況は、むしろ当時よりも悪くなっているかもしれない。
現代の政治状況を考えるにあたり、シュミットの批判は、今でもその有効性を失ってはいない。
2015年7月22日に日本でレビュー済み
民主主義と自由主義という二つの概念は、我が国の政権政党の名を見てもわかるように、いとも簡単に並べられ、しかも議会主義とほとんど同義のように考えられている。しかしシュミットによれば、公開の討論によって合理的で最適な政治的解が導かれるという議会主義の精神的基礎は自由主義であって、本来民主主義と何の関係もない。ここでの自由主義とは、市場における自由な競争が予定調和をもたらすという古典的市場経済像とパラレルなものだ。一方民主主義とは治者と被治者の「同一性」を基礎とする統治原理である。文字通りの「同一性」が実現不可能であるとすれば、それを擬制する一つの技術として、多数決原理、即ち議会主義が民主主義と手を携えることはある。だがこの結びつきは必然ではない。
要は何をもって同一と「見做す」かであるが、本書第2版の2年後(1928)に主著『 憲法論 』においてシュミットが行った離れ技が「代表(Repräsentation)」概念のカトリック的な再定義だ。「代表」とは選挙によって選ばれた者が国民の「代理」となることでも、国民から「委任」を受けることでもない。本来無限なる神がイエスに受肉化したように、不可視の実在を顕現させる形式(フォルム)、これが「代表」に他ならないという。 この特殊カトリック的な「代表」概念に「再現前」という訳語を与えたのは和仁陽氏であるが、ここに大衆の拍手喝采により不可視の実在たる国民が独裁という統治形式において顕現するというロジックが完成する。
本書が書かれたワイマール体制下、議会は政党による密室の取引が常態化し、自由な討論を通じた対話や説得という理念がフィクションに過ぎないことは誰の目にも明らかであった。シュミットの理論は、大衆の圧倒的な支持を得たカリスマ的指導者による「決める政治」を待望する時代の気分にぴたりとフィットしていたことは確かだ。そこにはデマゴギーや御用学者と言って済ます訳にはいかない、民主主義のある本質的な一面が含まれてもいる。
訳者で解説を寄せている樋口陽一氏は憲法学の大家であるが、フランス革命を高く評価するシュミットに共感しつつも、後にナチスのユダヤ人排斥を正当化したシュミットを批判する。さしずめフグは美味いが毒には気をつけろといったところだろうが、それは少々虫がいいというものだ。むしろ毒を食らわば皿までも・・・それが嫌ならフグには手を出すなと言うべきだ。ギロチンと恐怖政治から「自由、平等、博愛」といった耳ざわりのいい革命精神だけを安易に救出すべきではないし、ルソー的民主主義が独裁(或いは全体主義)と紙一重であることは政治理論にとって永遠のアポリアでありアイロニーではなかったか。樋口憲法学を論評する資格は評者にはないが、氏の啓蒙書や本書の解説を読む限りでは、そこにアキレス腱があると思えてならない。
要は何をもって同一と「見做す」かであるが、本書第2版の2年後(1928)に主著『 憲法論 』においてシュミットが行った離れ技が「代表(Repräsentation)」概念のカトリック的な再定義だ。「代表」とは選挙によって選ばれた者が国民の「代理」となることでも、国民から「委任」を受けることでもない。本来無限なる神がイエスに受肉化したように、不可視の実在を顕現させる形式(フォルム)、これが「代表」に他ならないという。 この特殊カトリック的な「代表」概念に「再現前」という訳語を与えたのは和仁陽氏であるが、ここに大衆の拍手喝采により不可視の実在たる国民が独裁という統治形式において顕現するというロジックが完成する。
本書が書かれたワイマール体制下、議会は政党による密室の取引が常態化し、自由な討論を通じた対話や説得という理念がフィクションに過ぎないことは誰の目にも明らかであった。シュミットの理論は、大衆の圧倒的な支持を得たカリスマ的指導者による「決める政治」を待望する時代の気分にぴたりとフィットしていたことは確かだ。そこにはデマゴギーや御用学者と言って済ます訳にはいかない、民主主義のある本質的な一面が含まれてもいる。
訳者で解説を寄せている樋口陽一氏は憲法学の大家であるが、フランス革命を高く評価するシュミットに共感しつつも、後にナチスのユダヤ人排斥を正当化したシュミットを批判する。さしずめフグは美味いが毒には気をつけろといったところだろうが、それは少々虫がいいというものだ。むしろ毒を食らわば皿までも・・・それが嫌ならフグには手を出すなと言うべきだ。ギロチンと恐怖政治から「自由、平等、博愛」といった耳ざわりのいい革命精神だけを安易に救出すべきではないし、ルソー的民主主義が独裁(或いは全体主義)と紙一重であることは政治理論にとって永遠のアポリアでありアイロニーではなかったか。樋口憲法学を論評する資格は評者にはないが、氏の啓蒙書や本書の解説を読む限りでは、そこにアキレス腱があると思えてならない。