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現代に生きるケインズ: モラル・サイエンスとしての経済理論 (岩波新書 新赤版 1013) 新書 – 2006/5/19

4.5 5つ星のうち4.5 17個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2006/5/19)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2006/5/19
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 226ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 400431013X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4004310136
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 17個の評価

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伊東 光晴
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上位レビュー、対象国: 日本

2021年10月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ケインズの本は何冊かあるので、まとめて読んでみます。
2014年11月25日に日本でレビュー済み
以下では順に、この本を選んだ理由、内容についての要約及び考察、そして最後にまとめという具合に話を進めてゆく。
 始めに、私がこの本を選んだ理由は次の2つからである。
 第一に、既存知識との擦り合わせである。題名からわかる通り、この本はマクロ経済学の祖とも呼べるケインズ経済学に関する書籍であるが、私は現在学んでいるミクロ・マクロ経済学双方の繋がりをいまいち理解できなかった。そこで、日本でのケインズ研究の第一人者による当時「最新」と謳うケインズ案内をぜひ読もうと手に取った。
 第二に、魅力あるサブタイトルである。私は同時に「モラル・サイエンスとしての経済理論」という副題にも興味を惹かれた。と言うのも、モラル・サイエンス即ち道徳科学の側面は、教科書で学んでいるマクロ経済学からはほとんど想起できなかったので、不思議にさえ思った。なので、むしろ疑いも含みながらこの書を読んでいこうと決めた次第である。
 以上今回私が書評にこの本を選んだ理由である。本題に入る前に断っておくと、私は前著「ケインズ」を読んでいない。本書では「ケインズ」執筆での問題意識と対比して差別化を図っている面が所々あって気になったが、それでもこの本を読もうと思ったのは、やはり上記の2点に負うところが大きい。

2.要約及び考察

 この本は序章に始まり、第1章から第4章、そして終章という構成である。それぞれの内容を、手短な説明と、読んで浮かんだ疑問などを合わせて順に追ってゆくとする。

⚪序章 ケインズ没後60年
 まず序章では、著者が、ケインズ没後60年(当時2006年)を迎えるにあたって新たに伝えたい事実があることを表明した上で、それらの根拠は1971年から1989年にわたって発刊された「ケインズ全集」が主であることを幾つかのトピックを踏まえて示している。
 はじめに私の興味をすぐ引いたのは、本題からいささか外れるが、著者伊東氏の回想からみた日本の経済学事情だった。やはり西洋から学問を輸入するに当たって起こる誤訳や間違った解釈は、少なからず起こるものだと言うことを改めて認識した。その中で著者のような、『一般理論』について前提から正確な理解を持つ事は容易ではないものの、重要であるし、そう言う人の存在は後を追って学ぶ者にとって貴重であると思われる。

⚪第1章 道徳科学としてのケインズ体系
 第1章では、『一般理論』を取り巻く経済学の方法論についての議論がもっぱらである。著者はケインズにとっての経済学のあるべき姿を、ロビンス、ハイエク等の学者と対比させつつ浮き彫りにしてゆくことを試みている。経済学に対するケインズのスタンスについて明らかになっとことは主に次の3つである。第一に、哲学者ムーアによって導かれた人間の生き方の実現に目的を置いたこと。第二に、そのために経済学を「手段の学問」として意識したこと。そして第三に、「社会的公正」「経済的効率」「個人的自由」をも目的実現までの通過点とし、同じく手段と見なしたことである。
 疑問に思った点は1つだ。ケインズはロビンズの「希少な資源の配分」という経済学の定義を批判したが、この批判は現在に至っても妥当であると受け入れられるのかということである。現代からエネルギー問題が叫ばれるようになったことからわかるように、私達が「資源が過剰にある」という認識を持つことは稀だ。これは当時の状況と異なった点が現代には幾つか見られるということを考慮に入れなければならないであろう。例えばあくまで推測だが、科学の進歩による資源埋蔵量などの統計データの可視化や環境問題への見方の変化などがあると思われる。

⚪第2章 ケインズ理論再考
 第2章では、ケインズ『一般理論』で展開された経済理論の骨格を一瞥しながら、次の5つの特徴を考えていった。①多元的な理論 ②統計的検証可能な理論 ③不確実性の前提 ④合成の誤謬の発見 ⑤方法論的個人主義の否定である。これらは従来の経済学、新古典派経済学にはなかった特徴であり、ケインズ(マクロ)経済学の基本原則であると言える。
 早速ここでも疑問に思った箇所は、1点である。第一は、「新古典派の労働市場分析の誤り」で見つかった誤りらしき部分の発見だ。「1時間当たりの実質賃金w/pの効用をμとすれば・・・」と、「縦軸に実質賃金一時間当たりの効用μw/pをとり・・・」で見て分かるように、修飾句は同じ事を表現しているにも関わらず、効用の表記が異なってしまっている。これは、w/pが一時間当たりの実質賃金であるので、前者が正しいのである。にも関わらず、著者はそのまま後者を式中に採用して議論を進めているのはどうなのかと私には思えてならない。結果そのことを反映すると、本文中に出た、l(エル)時間働くことによって得られるプラスの効用とマイナスの効用Tの差を表す式は、
     μl -T
とならなければならないはずである。
 ただし断っておくと、私が使用した本は第1刷である。なので恐らく、現在では訂正されたものが既に市場に出回っているであろうと思われる。

⚪第3章 妥協の書『一般理論』
 第3章では、『一般理論』におけるケインズの方法論の一部には、真の意味でケインズが主張したかった事と矛盾する前提が含まれている部分をいくつか示している。著者曰く、「『一般理論』はケインズに親しく学んでいた人たちへの妥協の書でもあった。」(P. 106) このことをより詳しく説明するために、第1節でハロッドへの妥協ー新古典派の貯蓄曲線への妥協をとりあげ、第2節で乗数の正確な理解を、そして第3節で新古典派の財市場分析の採用という問題をとりあげている。
 浮かんだ疑問は1つ。第3章第3節の冒頭で、収穫逓減の仮定-新古典派の短期理論の前提について触れているが、「(ケインズは)この収穫逓減の仮定が第20図の右下がり労働需要曲線となっているとした。」この根拠はどう証明されるのだろうかと気になったが、本文にはその事についての言及は無かった。
 印象に残った点は次の2点である。まず、カーンの提言による受難である。労働市場については非自発的失業の存在を前提しながら、資本設備については、under-utilization ― 操業度100%以下の状態 ― を認めず、新古典派の完全利用の状態を前提している。これは明らかな矛盾である。」と著者は述べている。言われてみればその通りであると思われる。財市場における新古典派の理論とケインズの理論には相反する部分があるのにも関わらず、両者を総合するのは誤りだという事である。だが現実に本文にも書かれているが、アメリカで完成された元祖経済学テキスト『経済学(上・下)』はサミュエルソンによる新古典派総合体系を体現したものである。そしてやはり上記の誤りは引き継がれているのであった。
 次に、直前の点とも関連するが、埋もれた真意の発掘である。「ケインズ全集」発刊によって明らかになった事実が、本書での伊東氏の主張を支えている根拠であると考えられる。ケインズが考えた経済学体系そのものを『一般理論』のみから捉える試みは、必要ではあっても十分ではないのだという事が、私にとってかなり衝撃であるとともに重要であると感じた。

⚪ 第4章 ヒックスによるケインズ理解 ― IS-LM分析の誤り―
 第4章の目的は2つである。第一は、ヒックスによる『一般理論』の体系化としてのIS-LM分析の誤りを著者がヒックスの論文に即して明らかにすることである。第二は、この理論の現実政策的意味を明らかにしようというものである。
 ここでも印象に残った事は次の2点である。
 まず、ヒックスに対する著者の断定的な態度である。第4章の冒頭でも見られるように、筆者はIS-LM分析を正面から批判する旨を宣言している。中でも「ヒックスの原論文に即し、ケインズのこれについての手紙を利用し、ヒックスの考えを全面的に否定する。」という強い調子での宣言には、この後の議論展開における著者の自信が垣間見られる。
 次に、矛盾する考えの同時存在である。本書でも説明されている通り、ケインズ『一般理論』は貨幣数量説の否定を体現した書であるが、IS-LM分析の考えはそれと相容れない事が示されている。というのも、IS-LM分析では貨幣数量説を暗に前提として論理を組み立てているからだと著者は述べている。確かにこの章の議論を追っていくと、そう納得できる。これは正直私にとって驚きであった。

⚪ 終章 学説史のなかのケインズ
 終章は、三つの節で構成されている。第1節は、ケインズの言うモラル・サイエンスの意味を自然科学との対比と社会思想史的文脈の上で考察する「道徳哲学から道徳科学へ」。第2節は、ケインズがどのような価格理論ないし市場観を持っていたかを、彼の書いたあらゆる断片を元に著者がまとめた「ケインズと市場観」。そして第3節では、マーシャルやケインズの考えをフリードマンなどの市場原理主義と対比させた「ホモ・エコノミカス批判」である。
 正直、終章は第1章と内容の重複があると思われるかもしれないが、これは第2、3、4章での考察から得られた知見を裏付けとして改めてケインズ体系の真の姿を叙述したのが、この章であると考えることもできる。

3.終わりに
 以上が当著書のあらましと内容への注釈である。最後に、私自身の感想を述べたい。この本は、最新のケインズ案内と言うだけあって、時を経るにつれて出てきた新事実を精選し明快に既存解釈の反駁を図ったその筆致は流石である。途中の第2章での誤りは読み進める上で幾分不安な気持ちにさせたが、それを含めても、私はこの本を読んで得られる知見が、これからも経済学を学ぶ上での一指針として重要であると言いたい。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年7月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、著者の前著『ケインズ』から40年余り経過して、新たな研究成果を踏まえ、
いわゆるケインズ主義がケインズ周囲の人々の数々の誤りや誤解により、ケインズの本
意とは異なる形で展開していったことを様々な文献を基に指摘し、さらにその誤解の上
に立った日本の経済政策が当然のごとく失敗した様子も明らかにしています。

ケインズが、アダム・スミス以来の道徳哲学の系譜に属することは、なんとなくわかって
いましたが、本書でそのことが改めて明確になり、後のケインズの言動が単なる経済学者
の枠を越え、社会正義の実践者としての行為が目立つことも納得がいくところです。

ケインズは、経済学者というより政治家である、という批判もされることがあるよう
ですが、自分の目指すよりよい社会の実現のために、経済学という枠に留まることなく、
様々な手段を通して実践していたに過ぎないのではないかと思われます。

本書では、ケインズの主著である『一般理論』について、再度ケインズの理論を検証し、
新古典派経済学との比較から、新古典派の理論が現実とはかけ離れた机上の空論である
ことを示しており、もちろん、反論もあるでしょうが、本書の説明を読む限りでは
たいへん説得的に思えます。

さらに、その『一般理論』自身も、ケインズの主張をそのまま組み込んだものではなく、
新古典派への妥協の部分が含まれ、それが後のケインズ批判へと繋がったことなども、
なぜそのようなことになってしまったかが、具体的な経緯を示して解説されており、
ケインズの理論を巡る議論の実態が、なんとなく分かったような気がします。

そして、公共投資における乗数効果の考え方の誤解や、ヒックスのIS−LM分析の
誤りなど、経済政策において重要な論拠とされるような理論の洗い直しを行い、
それらに基づく日本政府の政策の誤りを指摘し、その結果、厖大な借金を増やすことに
なったのは当然のこととして説明されます。

本書は、最近良く聞くケインズ批判に対する反論の書であるともいえますが、さらに、
ケインズの道徳科学としての経済学が、アダム・スミス、さらにはアリストテレスに
まで遡る倫理学の系譜に従っているということを示すことで、経済学とはそもそも
何かを問うものでもあり、ケインズが真に求めていたものを明らかにするものです。

とても刺激的な内容であり、少しでも経済に興味があるならば是非目を通すべき本であ
ると思われます。ただし、経済学の基礎知識を必要とするのは、やはり経済学という
特殊な分野の宿命なのかもしれません。
それでも筆者の文章は読みやすく、説明もわかりやすいため、丁寧に読めば割と理解
できるのではないかと思えました。

ケインズへの理解を深めることができる良書だと思います。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年7月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
伊東氏のこの本は、一般理論刊行70年、ケインズ没後60年、そして、伊東氏の前著『ケインズ』(岩波新書、1962年)から44年たって、1970年代からケインズ批判の潮流=新古典派の復権と1970年代以降の『ケインズ全集』(東洋経済新報社)刊行に伴う、ケインズ研究の進化、そして、日本のバブルとバブル崩壊後の長期不況の経験を経て、改めて、ケインズの真の姿を問い直すという、重厚な著作です。新書というわかりやすい入門書の形を取りながら、ケインズ研究のエッセンスを伝えようとした大力作です。

カーンの提言の犯罪性、ヒックスによるIS・LM分析が現代における新古典派の復権を許してしまったことを鋭く指摘します。

心より推薦できます。
27人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年4月1日に日本でレビュー済み
「ケインズは過去の経済学者ではない」
「序章」に刻まれたこのことばの説得力はあまりに大きなものだった。
 読み手の意識が多少は作用してしまっている部分もあろうが、2006年に上梓された
テキストでありながらも、まるでリーマンショック以後の今日の風景を予言している
かのような記述の連続に思わず引き込まれずにはいられなかった。
 全編にわたって、密度は実に濃い。
 第2章の記述は、Y(ield)だの、I(nvestment)だのと、とかくアレルギーを招きがちな
理論部分の解説を非常にスマートに成し遂げているし、第3章においては、今日の
景気対策の論拠と一般にはされている乗数理論をめぐる典型的な誤解を分かりやすく
払拭してもいる。誰しもが一度ならず目にしたことがあるであろうIS-LM曲線に
含まれる誤りの指摘から、マネタリズム批判に至る議論の展開にも唸らされた。
そして、ケインズの思想的根幹をなしているスミス以来の道徳科学の系譜にも言及。
 確かに、主張があまりに一方的過ぎるとの感はしないでもない。例えばハイエクへの
批判については、彼の「自生的秩序」――私の感覚ではそれこそヒュームとスミスの
焼き直しでしかない――を多少誤解しているように見えるし、金利引き下げと貯蓄性向に
関しては、デフレが考慮されていないように見受けられる。
 ただし、いずれにせよ、とりわけこの時代背景ゆえにこそ、読んで得るところは
極めて大きな一冊。

 なお、筆者の議論は既刊の『
ケインズ―“新しい経済学”の誕生 (岩波新書) 』を前提に
進められているような節もあり、そちらは未読の私自身は本書の理解に際して特に
困ることはなかったのだが、もしかしたら先に読んでおいた方がよいのかもしれない。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年7月26日に日本でレビュー済み
1970年代先進資本主義諸国でケインズ主義政策が有効でなくなくなったのをきっかけに

ケインズ主義を葬りさられ、新古典派経済学が復権しました。

ケインズ否定以降現在まで、我々は倫理を無視し「個人」の利益のみ

拘泥しています(政治もそれを煽っています)。

しかし、筆者は新古典派的思考の誤りを次々と暴きだし、

現代がいかに間違った方向に向かっているかを告発しています。

普遍的政治理念=人間としての生のために経済効率、

社会的公正、そして個人の自由のうちどれを手段として用いるかを

我々は直感で判断しなければならないとしています。

我々はケインズを全否定する「もったいない」ことをしていたと思いました。

また、我々はアダム・スミスの『道徳感情論』などの古典をいかに

読み込んでいないか、理解していないかと恥ずべき現実を突きつけられました。
28人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート