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戦時下日本の建築家: アート・キッチュ・ジャパネスク (朝日選書 530) 単行本 – 1995/7/1
井上 章一
(著)
- 本の長さ328ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日1995/7/1
- ISBN-104022596309
- ISBN-13978-4022596307
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
日本ファシズムの時代、建築家たちは何をしたか。体制は彼らに何を求めたのか。迎合、困惑あるいは抵抗。コンクリートビルに和風の瓦屋根をあしらった帝冠様式、忠霊塔など1930年代の建築を考察。
登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (1995/7/1)
- 発売日 : 1995/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 328ページ
- ISBN-10 : 4022596309
- ISBN-13 : 978-4022596307
- Amazon 売れ筋ランキング: - 636,164位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年4月4日に日本でレビュー済み
~戦後「帝冠様式」は、日本のファシズムが押し進めた建築様式であるとか、軍国主義の産物であるという位置づけがなされてきた。こうした位置づけには「帝冠様式」に対する軽視や揶揄が込められており、今日では改めた見解や評価が提示されている。こうした戦後の位置づけを徹底的に解体しようとしたのが、井上章一の『戦時下日本の建築家-アート・キッチュ・~~ジャパネスク』です。本書は1987年に『アート・キッチュ・ジャパネスク』というタイトルで刊行したものが、1995年に復刊し、現在のタイトルになりました。本書では、日本の「帝冠様式」が政治的意図とは無縁に成立したこと、当時の国家体制が特定の様式に指示や誘導、抑圧を与えた事実がないことを実証主義的に示しています。筆者の主張にはやや極端~~な部分も含まれるが、膨大な資料や事実を分析する徹底性には学問や物事を考える上での姿勢を学ぶことができました。建築に興味があるなしに関わらず、多くの示唆を与える一冊ではないかと思います。~
2009年7月20日に日本でレビュー済み
『アート・キッチュ・ジャパネスク - 大東亜のポストモダン』(1987年青土社刊)』を増補改題。
第I章がまるごと帝冠様式です。
古典様式の躯体部分を適切に変形させているかどうかで帝冠様式 (=日本趣味)と帝冠併合式(=帝冠式)とを区別しています。
また、第I章・第II章を通じて日本趣味のファッショ性を否定しています。帝冠様式はファシズム建築ではなく、民衆の和風屋根への愛着が様式の空白期に溢れ出たものだという立場です。
第I章がまるごと帝冠様式です。
古典様式の躯体部分を適切に変形させているかどうかで帝冠様式 (=日本趣味)と帝冠併合式(=帝冠式)とを区別しています。
また、第I章・第II章を通じて日本趣味のファッショ性を否定しています。帝冠様式はファシズム建築ではなく、民衆の和風屋根への愛着が様式の空白期に溢れ出たものだという立場です。
2015年9月25日に日本でレビュー済み
著者の「夢と魅惑の全体主義」という作品は読んでいたのですが、恥ずかしいながら、この作品には気づきませんでした。今回、僕が読んだのは青土社からの原著で、出版は1987年です。この時代にこのような作品が出ていたとは驚きです。構想からそして膨大な当時の資料、それも建築学会の専門誌の丁寧な読み込み、そして論文への完成までの時間を考えるとおそらく本書の基本的なモティーフは80年代前半に出来上がっていたのでは。似たような「神話の崩壊」の作業は政治史の分野では筒井教授の「昭和期日本の構造」でも行われており、そちらの方は同時代でそれなりにフォローしてはいましたが、このような作業が建築史という特殊な分野でおこなれていたとは驚きでした。どちらも京大の人なんだな。
中川八洋氏も「福田和也と“魔の思想」の中で建築を媒介とした強烈な解釈を開陳していますが、建築というのは魅力的な道具なのでしょう。でも建築なんていう領域にはなかなか素人は入り込めません。ましてやそこで日本ファシズムについての自説の実証作業を行うなんて、才能に恵まれた一部の人にだけ許された特権というほかありません。そして著者の堂々たる自信は後書きにも明確に表れています。論文という形で出版された時点で本書に向けられた批判を堂々とあとがきで披露するという大胆な営為ですが、若き著者にはこの種の非難の政治性と粗雑さはすべてお見通しだったのです。この種の批判は今から読み直してみるとあまりもの粗雑さに苦笑してしまうほどです。
著者の立ち位置は、いうまでもなくイデオロギー的で図式的な戦前の理解と解釈への拒絶です。それは日本におけるファシズム理解の問題と密接にかかわっています。日本趣味自体もファシズム体制への対応ではなく、様式の空白期に現れてきた旧時代の残滓以上のものではなかったというわけです。そこで浮かび上がる構図は、悲しいかな、建築の領域におけるファシズムの「矮小さ」とユートピア性の欠如です。「小見出し」にこっそりと織り込まれた、「挑発者の不在」、「興隆を狙う挑発者」、「挑発者の処世術」などの用語はかなり意識的でpolemicalなものです。それに対して、建築の造形が持つ大衆への大きな影響力は、当時の当局には意識されてはいないのです。建築資材の不足という国家総動員体制の結果としてのバラック建築の横行というわけです。
さらに、コンペの決定プロセスなんてまさに文化政治で建築家たちの政治的な「みごとな処世術」の場でしかなかったのです。旧世代とモダニズムの抗争が忠霊塔の決定プロセスでも伺えますが、そこでは強烈なイデオロギー性などはなく、見受けられるのは、文化的知覚に賭ける当局のつまらない意向への迎合と選考委員の数合わせの結果なのです。この矮小さこそが当事者による事実に即した分析を不可能ならしめているのです。お定まりの戦後の戦争批判の図式によりかかった戦前の歴史の塗り替えというわけです。戦争画をめぐる戦後美術界のドタバタと似たようなものでしょうか。「大東亜記念営造建設計画」をめぐるモダニストとその後を見据えた新世代との闘争もファシズムを媒介として戦後のpost modernismにつながっているいうわけです。広島平和記念公園での核廃絶のための政治集会を「大東亜記念営造建設計画」の延長線上に位置づけ政治的な陶酔と祝祭の演出場と捉えたのは強烈で挑発的な解釈です。本書の出版から30年近い月日が流れましたが、さて著者の現在の立ち位置はどうなのでしょう。
最後に、新国立競技場をめぐるドタバタ劇が演じられている今、一方では本書でも丹下健三の影の使嗾者として取り上げられた坂倉準三が設計した鎌倉の近代美術館が今年で閉館されるのをこの前の鎌倉訪問で知りました。このようなタイミングの中で本書を見つけたのも何かの偶然だったのでしょうか。
中川八洋氏も「福田和也と“魔の思想」の中で建築を媒介とした強烈な解釈を開陳していますが、建築というのは魅力的な道具なのでしょう。でも建築なんていう領域にはなかなか素人は入り込めません。ましてやそこで日本ファシズムについての自説の実証作業を行うなんて、才能に恵まれた一部の人にだけ許された特権というほかありません。そして著者の堂々たる自信は後書きにも明確に表れています。論文という形で出版された時点で本書に向けられた批判を堂々とあとがきで披露するという大胆な営為ですが、若き著者にはこの種の非難の政治性と粗雑さはすべてお見通しだったのです。この種の批判は今から読み直してみるとあまりもの粗雑さに苦笑してしまうほどです。
著者の立ち位置は、いうまでもなくイデオロギー的で図式的な戦前の理解と解釈への拒絶です。それは日本におけるファシズム理解の問題と密接にかかわっています。日本趣味自体もファシズム体制への対応ではなく、様式の空白期に現れてきた旧時代の残滓以上のものではなかったというわけです。そこで浮かび上がる構図は、悲しいかな、建築の領域におけるファシズムの「矮小さ」とユートピア性の欠如です。「小見出し」にこっそりと織り込まれた、「挑発者の不在」、「興隆を狙う挑発者」、「挑発者の処世術」などの用語はかなり意識的でpolemicalなものです。それに対して、建築の造形が持つ大衆への大きな影響力は、当時の当局には意識されてはいないのです。建築資材の不足という国家総動員体制の結果としてのバラック建築の横行というわけです。
さらに、コンペの決定プロセスなんてまさに文化政治で建築家たちの政治的な「みごとな処世術」の場でしかなかったのです。旧世代とモダニズムの抗争が忠霊塔の決定プロセスでも伺えますが、そこでは強烈なイデオロギー性などはなく、見受けられるのは、文化的知覚に賭ける当局のつまらない意向への迎合と選考委員の数合わせの結果なのです。この矮小さこそが当事者による事実に即した分析を不可能ならしめているのです。お定まりの戦後の戦争批判の図式によりかかった戦前の歴史の塗り替えというわけです。戦争画をめぐる戦後美術界のドタバタと似たようなものでしょうか。「大東亜記念営造建設計画」をめぐるモダニストとその後を見据えた新世代との闘争もファシズムを媒介として戦後のpost modernismにつながっているいうわけです。広島平和記念公園での核廃絶のための政治集会を「大東亜記念営造建設計画」の延長線上に位置づけ政治的な陶酔と祝祭の演出場と捉えたのは強烈で挑発的な解釈です。本書の出版から30年近い月日が流れましたが、さて著者の現在の立ち位置はどうなのでしょう。
最後に、新国立競技場をめぐるドタバタ劇が演じられている今、一方では本書でも丹下健三の影の使嗾者として取り上げられた坂倉準三が設計した鎌倉の近代美術館が今年で閉館されるのをこの前の鎌倉訪問で知りました。このようなタイミングの中で本書を見つけたのも何かの偶然だったのでしょうか。