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美しい日本の私 (講談社現代新書) 新書 – 1969/3/16
川端 康成
(著),
エドワード.G・サイデンステッカ-
(翻訳)
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雪、月、花に象徴される日本美の伝統は、「白」に最も多くの色を見、「無」にすべてを蔵するゆたかさを思う。美の真姿を流麗な文章にとらえた本書は、ノーベル賞受賞記念講演の全文に、サイデンステッカー氏による英訳を付した、日本人の心の書である。
「山水」といふ言葉には、山と水、つまり自然の景色、山水画、つまり風景画、庭園などの意味から、「ものさびたさま」とか、「さびしく、みすぼらしいこと」とかの意味まであります。しかし「和敬清寂」の茶道が尊ぶ「わび・さび」は、勿論むしろ心の豊かさを蔵してのことですし、極めて狭小、簡素の茶室は、かへって無辺の広さと無限の優麗とを宿してをります。1輪の花は100輪の花よりも花やかさを思はせるのです。開ききった花を活けてはならぬと、利休も教へてゐますが、今日の日本の茶でも、茶室の床にはただ1輪の花、しかもつぼみを生けることが多いのであります。――本書より
「山水」といふ言葉には、山と水、つまり自然の景色、山水画、つまり風景画、庭園などの意味から、「ものさびたさま」とか、「さびしく、みすぼらしいこと」とかの意味まであります。しかし「和敬清寂」の茶道が尊ぶ「わび・さび」は、勿論むしろ心の豊かさを蔵してのことですし、極めて狭小、簡素の茶室は、かへって無辺の広さと無限の優麗とを宿してをります。1輪の花は100輪の花よりも花やかさを思はせるのです。開ききった花を活けてはならぬと、利休も教へてゐますが、今日の日本の茶でも、茶室の床にはただ1輪の花、しかもつぼみを生けることが多いのであります。――本書より
- 本の長さ74ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1969/3/16
- 寸法10.6 x 0.7 x 17.4 cm
- ISBN-104061155806
- ISBN-13978-4061155800
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商品の説明
商品説明
1968年、川端康成は日本人として初のノーベル文学賞を授与され、ストックホルムでの授賞式には紋つき袴の正装で出席、格調高い日本語でスピーチを行い、深い感銘を与えた。本書はその全文である。冒頭、まず道元「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷(すず)しかりけり」、明恵「雲を出でて我にともなふ冬の月風や身にしむ雪や冷めたき」、良寛「形見とて何か残さん春は花山ほととぎす秋はもみぢ葉」の三僧の歌を紹介して、自然との合一ということこそが日本人の精神伝統の根本であることを説き、ついで、芥川の遺書にある「末期の眼」という語や一休の「魔界入り難し」の語をひいて、死や虚無などともこの精神が深く通じていることを述べる。しかし、それは、西欧的な死や無の観念とは違って、死即生、無即有というような豊饒(ほうじょう)自在な世界であり、そこから、日本画、茶、花などのさまざまな伝統文化が生まれてくるのである。以下、伊勢物語から源氏物語へ、古今集から新古今集へと極まっていった古典文学の伝統をたたえ、そのすべてに東洋的無および自然意識が流れていることをあらためて強調して、この印象深い講演は閉じられる。世界に向かって、日本の精神伝統の独自性と豊かさを示した卓抜な日本文化論であると同時に、タイトルからもうかがわれるように、現代日本の文学者である自身にもこの伝統が脈々と受け継がれていることを高らかに宣言する記念碑的作品である。(大久保喬樹)
著者について
【川端康成】
1899年大阪に生まれた。東京帝国大学国文科卒業。小説『伊豆の踊子』『雪国』等を経て、戦後は、『千羽鶴』『山の音』『古都』『眠れる美女』を発表。1968年ノーベル文学賞受賞。1972年没。
【エドワード・G・サイデンステッカー】
1921年アメリカ合衆国コロラドに生まれた。コロンビア大学・ハーバード大学・東京大学の各大学院で日本文学を専攻。ミシガン大学教授。
1899年大阪に生まれた。東京帝国大学国文科卒業。小説『伊豆の踊子』『雪国』等を経て、戦後は、『千羽鶴』『山の音』『古都』『眠れる美女』を発表。1968年ノーベル文学賞受賞。1972年没。
【エドワード・G・サイデンステッカー】
1921年アメリカ合衆国コロラドに生まれた。コロンビア大学・ハーバード大学・東京大学の各大学院で日本文学を専攻。ミシガン大学教授。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1969/3/16)
- 発売日 : 1969/3/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 74ページ
- ISBN-10 : 4061155806
- ISBN-13 : 978-4061155800
- 寸法 : 10.6 x 0.7 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 28,910位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 39位論文集・講演集・対談集
- - 472位講談社現代新書
- - 4,435位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年8月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こういうタイトルのものは拒否するのですが、川端ノーベル賞記念講演、とてもよく日本の文化を伝えています。自己知識の確認になるうえ日本を知りたいとする海外の方々にも紹介できる内容です。
2017年8月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
川端康成は日本的な美を表現した小説家であることには間違いないのだが、
もっとも思想性のある日本の文学者であるということは、一般的に知られていないような気がする。
1968年のノーベル文学賞受賞者として受賞記念講演が行われた際のその演題は、
「美しい日本の私 Japan, the beautiful, and myself」である。
本書はこの講演内容を原文と訳文とで掲載したものであり、
訳者は授賞式の時に通訳を行なった日本文学研究者であるサイデンステッカーである。
この英訳が収められていることで、さらに本書の価値は高められるものとなるのではないだろうか。
講談社現代新書から出版されたものである。
この講演で述べられていることは、いわば、川端康成の文学者としての明確な美学の表明である。
つまり彼が目指した小説の世界の「姿」である。
ここでの彼の主張は、道元や明恵上人、良寛、一休禅師をはじめとする禅仏教の世界観であり、
西行や永福門院らの新古今和歌集で表現された「幽玄」の思想である。
川端はこの講演において、西欧とは全く異なる日本独自の伝統的世界観を説明し、いわば
西欧にはなかった日本人の自然観や現世の捉え方を紹介する。
ここでの講演内容はこの意味において非常に深みを帯びており、平安期からの日本の芸術において、
その背景に存在する独自の死生観の意義を示しているのである。
いわばこの講演によって、川端は西欧中心の文化的世界に対して、日本の芸術の特筆すべき本質的な
全体像を示してくれたのであり、その日本文化のあり方こそが、その後の未来世界におけるひとつの大きな
哲学的キーワードを提供し、芸術における死生観および美学的方向性を指し示していると言える。
20世紀という時代において、西洋文明はその限界を露呈し、大きな曲がり角に差し掛かっていた。
二項対立の無意味さを説くインドの思想や日本の仏教思想は、世界にも注目され始めたその時に、
ノーベル文学賞を受賞した東洋の文学者から放たれたこの講演の意味は、あまりにも大きいものである。
文学とはその基盤に確かな思想がなくてはならない。単なるムードや感傷、表面を飾るだけの
姑息な洒落た表現手段によって偉大な文学が生まれるものではない。やはり、文学が読者の生き方に
強いインンパクトを与え、読者の人生観を司るものになることが、文学の本来的な価値と言えるのである。
その意味から言って、現在の日本の文壇は、あまりにも文学的レベルが低次元なものになってしまった。
資本主義的商業主義が何よりも優先され、巷にはミステリー中心の文芸的読み物が流行り、
その他のあらゆる芸術行為の劣化が進行してゆく。
芥川龍之介、堀辰雄、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、辻邦生、福永武彦らは既にこの世にはいない現在、
日本文壇には、日本の古典文学を理解する文学者がほとんど存在しない状態のまま、カオス化している。
現代の文壇はまるで、歴史的時間軸から切り離された近代主義だけが存在し、単なる個人主義的想念の物語を
生み出しているような気がしてならない。これはおそらく、日本文学さえもが近代化の波に押し流され、
外国文学(特に英米文学)ばかりを追い求めた結果、欧米と同じ袋小路に迷い込んでしまった
日本人の姿なのではあるまいか。そうだとすれば、日本人による文学の未来は暗澹たるものになるに違いない。
このような時代にこそ、川端康成という日本的芸術至上主義を体現した偉大な文学者が、
日本文学の意義深さを世界に向かって語った言葉に耳を傾けるだけでも、大変に尊い意味があると思う。
ここに、この講演の最後の印象深い言葉を紹介したい。
---《私の作品を虚無と言ふ評価がありますが、西洋流のニヒリズムといふ言葉は当てはまりません。
心の根本がちがふと思ってゐます》---
もっとも思想性のある日本の文学者であるということは、一般的に知られていないような気がする。
1968年のノーベル文学賞受賞者として受賞記念講演が行われた際のその演題は、
「美しい日本の私 Japan, the beautiful, and myself」である。
本書はこの講演内容を原文と訳文とで掲載したものであり、
訳者は授賞式の時に通訳を行なった日本文学研究者であるサイデンステッカーである。
この英訳が収められていることで、さらに本書の価値は高められるものとなるのではないだろうか。
講談社現代新書から出版されたものである。
この講演で述べられていることは、いわば、川端康成の文学者としての明確な美学の表明である。
つまり彼が目指した小説の世界の「姿」である。
ここでの彼の主張は、道元や明恵上人、良寛、一休禅師をはじめとする禅仏教の世界観であり、
西行や永福門院らの新古今和歌集で表現された「幽玄」の思想である。
川端はこの講演において、西欧とは全く異なる日本独自の伝統的世界観を説明し、いわば
西欧にはなかった日本人の自然観や現世の捉え方を紹介する。
ここでの講演内容はこの意味において非常に深みを帯びており、平安期からの日本の芸術において、
その背景に存在する独自の死生観の意義を示しているのである。
いわばこの講演によって、川端は西欧中心の文化的世界に対して、日本の芸術の特筆すべき本質的な
全体像を示してくれたのであり、その日本文化のあり方こそが、その後の未来世界におけるひとつの大きな
哲学的キーワードを提供し、芸術における死生観および美学的方向性を指し示していると言える。
20世紀という時代において、西洋文明はその限界を露呈し、大きな曲がり角に差し掛かっていた。
二項対立の無意味さを説くインドの思想や日本の仏教思想は、世界にも注目され始めたその時に、
ノーベル文学賞を受賞した東洋の文学者から放たれたこの講演の意味は、あまりにも大きいものである。
文学とはその基盤に確かな思想がなくてはならない。単なるムードや感傷、表面を飾るだけの
姑息な洒落た表現手段によって偉大な文学が生まれるものではない。やはり、文学が読者の生き方に
強いインンパクトを与え、読者の人生観を司るものになることが、文学の本来的な価値と言えるのである。
その意味から言って、現在の日本の文壇は、あまりにも文学的レベルが低次元なものになってしまった。
資本主義的商業主義が何よりも優先され、巷にはミステリー中心の文芸的読み物が流行り、
その他のあらゆる芸術行為の劣化が進行してゆく。
芥川龍之介、堀辰雄、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、辻邦生、福永武彦らは既にこの世にはいない現在、
日本文壇には、日本の古典文学を理解する文学者がほとんど存在しない状態のまま、カオス化している。
現代の文壇はまるで、歴史的時間軸から切り離された近代主義だけが存在し、単なる個人主義的想念の物語を
生み出しているような気がしてならない。これはおそらく、日本文学さえもが近代化の波に押し流され、
外国文学(特に英米文学)ばかりを追い求めた結果、欧米と同じ袋小路に迷い込んでしまった
日本人の姿なのではあるまいか。そうだとすれば、日本人による文学の未来は暗澹たるものになるに違いない。
このような時代にこそ、川端康成という日本的芸術至上主義を体現した偉大な文学者が、
日本文学の意義深さを世界に向かって語った言葉に耳を傾けるだけでも、大変に尊い意味があると思う。
ここに、この講演の最後の印象深い言葉を紹介したい。
---《私の作品を虚無と言ふ評価がありますが、西洋流のニヒリズムといふ言葉は当てはまりません。
心の根本がちがふと思ってゐます》---
2018年1月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
川端康成に興味があり購入したが、むずかしい。これからすこしずつ読んでいきます。
2016年3月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
流石として言いようがありません。読後の聡明な心持に感謝したいです。
後半の翻訳部分のページ数がかなり多いですが…。
後半の翻訳部分のページ数がかなり多いですが…。
2019年5月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私たちは、この世を見るために、聞くために生まれてきた。
春は花 夏はほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり(道元)
山の端にわれも入りなむ月も入れ 夜な夜なごとにまた友とせむ(明恵)
形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉(良寛)
自然との一体が詠まれている。
末期の眼(芥川)、魔界入り難し(一休)は、死・虚無についても同様であることを示している。
以上、日本人の人生観は「死即生」「無即有」「一即多」の世界である。
当然ながら、日本画、茶、花、和歌も全て同様である。
それは、「白」に最も多くの色を見、「無」に全てを蔵する豊かさを見る感性となる。
「わび・さび」は、これ以上ない豊穣を蔵しているのである。
一輪の花に百輪の花の華やかさを見るのである。
「古人、皆、花を活けて、悟道したるなり」(池坊専応)
禅も偶像崇拝はせず、無涯無辺、無尽蔵に入る。そこは、論理でなく直観が働く。
恋も、「いついつと待ちにし人は来りけり 今は相見てなにか思わん」(良寛)
良寛68歳、29歳の貞心尼に巡りあへた喜びの歌である。
ただ、縁に隨うのである。
日本の伝統文化は、西欧流の「自他対立」ではなく、「自他一如」の世界である。
春は花 夏はほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり(道元)
山の端にわれも入りなむ月も入れ 夜な夜なごとにまた友とせむ(明恵)
形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉(良寛)
自然との一体が詠まれている。
末期の眼(芥川)、魔界入り難し(一休)は、死・虚無についても同様であることを示している。
以上、日本人の人生観は「死即生」「無即有」「一即多」の世界である。
当然ながら、日本画、茶、花、和歌も全て同様である。
それは、「白」に最も多くの色を見、「無」に全てを蔵する豊かさを見る感性となる。
「わび・さび」は、これ以上ない豊穣を蔵しているのである。
一輪の花に百輪の花の華やかさを見るのである。
「古人、皆、花を活けて、悟道したるなり」(池坊専応)
禅も偶像崇拝はせず、無涯無辺、無尽蔵に入る。そこは、論理でなく直観が働く。
恋も、「いついつと待ちにし人は来りけり 今は相見てなにか思わん」(良寛)
良寛68歳、29歳の貞心尼に巡りあへた喜びの歌である。
ただ、縁に隨うのである。
日本の伝統文化は、西欧流の「自他対立」ではなく、「自他一如」の世界である。
2018年8月27日に日本でレビュー済み
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まず冒頭の道元の歌に度肝を抜かれる。聴衆の知的レベルに敬意を評しているのか、いささかの手加減もない。妖艶、幽玄、余情、虚空、仏界、魔界など、日本人ですら心得ているかどうか分からない単語に遠慮がない。はたして彼の哲学を心底理解できる人がどの程度いるのだろう。
一般の人にも分かりやすいプレスリリースを心掛けている研究者の私としては「こんな時代があり、この内容を発信できる人物がいたのか」と考えさせられた。しかし、それほど昔のことではないのだ。
彼の文学へのノーベル賞受賞記念講演であることを考えると、自身の作品への直接の言及が限られているのもお見事。古来からの日本文化の特質を紹介し、日本文化への理解を促すことで川端文学への道筋としている。構成が壮大なのだ。
予稿から修正の入ったタイトル「美しい日本の私」も、サブタイトル「その序説」も示唆に富む。
スティーブ・ジョブズに代表されるようなTED風のプレゼンだけがプレゼンではない。
プレゼンのさらなる高みを目指す方には読んでいただきたい1冊である。
一般の人にも分かりやすいプレスリリースを心掛けている研究者の私としては「こんな時代があり、この内容を発信できる人物がいたのか」と考えさせられた。しかし、それほど昔のことではないのだ。
彼の文学へのノーベル賞受賞記念講演であることを考えると、自身の作品への直接の言及が限られているのもお見事。古来からの日本文化の特質を紹介し、日本文化への理解を促すことで川端文学への道筋としている。構成が壮大なのだ。
予稿から修正の入ったタイトル「美しい日本の私」も、サブタイトル「その序説」も示唆に富む。
スティーブ・ジョブズに代表されるようなTED風のプレゼンだけがプレゼンではない。
プレゼンのさらなる高みを目指す方には読んでいただきたい1冊である。
2017年9月2日に日本でレビュー済み
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日本を代表するスピーチ原稿です。主語のない題名ですが、意図が汲み取れて嬉しいです。美しい日本と私と書いてあるのをあえて変えてる元原稿も載ってます。