無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
日本海軍と政治 (講談社現代新書) 新書 – 2015/1/16
手嶋 泰伸
(著)
海軍の太平洋戦争への責任は陸軍に比して軽かったのか? 明治憲法下において政府・議会と並ぶ国家の主柱であったにもかかわらず、その責任を十分に果たすことのできなかった海軍の「政治責任」を、「不作為の罪」をキーワードに検証する。これまで顧みられることの少なかった「海軍と政治」の問題をはじめて正面から問う問題の書。
なぜ日本は無謀な太平洋戦争に突入してしまったのか? その大きな原因の一つに軍部の暴走を上げる人は多いでしょう。しかしこの問題では、陸軍に比して海軍が批判されることは少ないように思われます。では、本当に海軍の責任は軽かったのでしょうか? 著者の結論は、確かに海軍は陸軍に比べると直接、政治に容喙することは少なかった。しかしそのことをもって戦争突入の責任がなかったとは言えない、というものです。「責任」は、なすべきことがあったのにそれをやらなかった場合にも問われるべきではないでしょうか。いわゆる「不作為の罪」です。海軍の場合、この不作為の面での責任が非常に大きいのです。海軍には、常に陸軍の後塵を拝しているという意識がありました。そのため陸軍に対する対抗意識は非常に強く、予算獲得に際しては常に陸軍と張り合うような行動を取ってきました。戦前日本は、陸の仮想的であるソ連には陸軍が、海の仮想的であるアメリカには海軍が主になって対抗することになっていました。ということは、太平洋戦争が海軍を主とした戦争になることは明らかでした。しかし海軍は、戦争突入の直前まで火中の栗を拾うことをいやがりました。山本五十六だけでなく、対米戦争になれば日本海軍が負けることは上層部にはわかっていました。しかし、海軍には、「負けるので戦争はできません」とは口が裂けても言えませんでした。これまでずっと、対米戦のためと称して陸軍に対抗して予算をぶんどってきたからです。また山本にしても、仮に負けるにせよ、どのように負ければいいのか、終戦に至るプロセスのイメージは全く持っていませんでした。自分の「部署」のメンツを保つために戦争に突入したとさえも言えるのです。現代のお役所が省益の確保に汲汲として国民のことは全く視野に入っていないのと同じ構造だといえるでしょう。本書は、従来、陸軍に比して語られることの少なかった「海軍と政治」の問題を、「不作為の罪」をキーワードにすることによって明らかにするものです。そして、明治憲法下においては政府・議会と並ぶ国家の主柱であったにもかかわらず、その責任を十分に果たすことのできなかった海軍の「政治責任」が、はじめて正面から問われることになるでしょう。
なぜ日本は無謀な太平洋戦争に突入してしまったのか? その大きな原因の一つに軍部の暴走を上げる人は多いでしょう。しかしこの問題では、陸軍に比して海軍が批判されることは少ないように思われます。では、本当に海軍の責任は軽かったのでしょうか? 著者の結論は、確かに海軍は陸軍に比べると直接、政治に容喙することは少なかった。しかしそのことをもって戦争突入の責任がなかったとは言えない、というものです。「責任」は、なすべきことがあったのにそれをやらなかった場合にも問われるべきではないでしょうか。いわゆる「不作為の罪」です。海軍の場合、この不作為の面での責任が非常に大きいのです。海軍には、常に陸軍の後塵を拝しているという意識がありました。そのため陸軍に対する対抗意識は非常に強く、予算獲得に際しては常に陸軍と張り合うような行動を取ってきました。戦前日本は、陸の仮想的であるソ連には陸軍が、海の仮想的であるアメリカには海軍が主になって対抗することになっていました。ということは、太平洋戦争が海軍を主とした戦争になることは明らかでした。しかし海軍は、戦争突入の直前まで火中の栗を拾うことをいやがりました。山本五十六だけでなく、対米戦争になれば日本海軍が負けることは上層部にはわかっていました。しかし、海軍には、「負けるので戦争はできません」とは口が裂けても言えませんでした。これまでずっと、対米戦のためと称して陸軍に対抗して予算をぶんどってきたからです。また山本にしても、仮に負けるにせよ、どのように負ければいいのか、終戦に至るプロセスのイメージは全く持っていませんでした。自分の「部署」のメンツを保つために戦争に突入したとさえも言えるのです。現代のお役所が省益の確保に汲汲として国民のことは全く視野に入っていないのと同じ構造だといえるでしょう。本書は、従来、陸軍に比して語られることの少なかった「海軍と政治」の問題を、「不作為の罪」をキーワードにすることによって明らかにするものです。そして、明治憲法下においては政府・議会と並ぶ国家の主柱であったにもかかわらず、その責任を十分に果たすことのできなかった海軍の「政治責任」が、はじめて正面から問われることになるでしょう。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2015/1/16
- 寸法10.9 x 1.1 x 17.3 cm
- ISBN-10406288299X
- ISBN-13978-4062882996
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
手嶋 泰伸
1983年宮城県生まれ。
東北大学文学部卒業、同大学大学院文学研究科博士課程後期終了。日本学術振興会特別研究員・東北大学非常勤講師を経て、現在、福井工業高等専門学校一般科目教室助教。 博士(文学)。
専門は日本近代史。
著書に『昭和戦時期の海軍と政治』(吉川弘文館がある。
1983年宮城県生まれ。
東北大学文学部卒業、同大学大学院文学研究科博士課程後期終了。日本学術振興会特別研究員・東北大学非常勤講師を経て、現在、福井工業高等専門学校一般科目教室助教。 博士(文学)。
専門は日本近代史。
著書に『昭和戦時期の海軍と政治』(吉川弘文館がある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2015/1/16)
- 発売日 : 2015/1/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 406288299X
- ISBN-13 : 978-4062882996
- 寸法 : 10.9 x 1.1 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 102,465位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2015年8月1日に日本でレビュー済み
私は民間人だし、軍事の専門家でもない。そのような私が本書を読んで思ったのは、「ひょっとしたら、明治初期の段階で、すでに第二次世界大戦での敗戦はほぼ決まっていたのでは?」ということだ。明治維新直後は、内乱対策の影響で、海軍の予算は陸軍の半分にも満たなかった(p.46-47)。それなのに、艦船の数は非常に少なかった(p.40, p.49-50)。「えっ?でも、日本は島国だし、周りの海、広いよね・・・。なのに、(当時)船これだけしかなかったのか・・・」と思った。そして、(当然だが)海軍は予算を取ることに躍起になってゆき(p.52-54)、政治へと足を踏み入れてゆく。そして、平沼内閣とズブズブになったころには、どっぷり足が浸かっていた(p.129-131)。本書を読んでいると、「明治初期の予算配分の不適切さが、どんどん泥沼化して、物事が悪いほうへ悪いほうへと転び、グダグダになった末に、戦争に負けた」というイメージがぬぐえなかった。そのグダグダは、海軍がどうのというよりも、陸軍や議会・内閣などをはじめ、当時の政策決定プレーヤー全般をおおっていたような印象を受けた。そのほか、当時、陸軍は対ソ戦を強く意識する一方で海軍は対米戦を強く意識していた、という綱引きみたいな状況(「どちらも大きな国なのに、二方面で戦って、勝てると思ったのかな・・・?」と感じた)とか、内政の迷走が重なったとか、アメリカ以外に石油の輸入元を確保できていなかったとか、戦局が厳しいのに迷走する内政にプレーヤーみんなが振り回されすぎたとか、いろんな不幸が重なってしまったのかな?と思った。アメリカでヘラルド・トリビューンの記事が日本についてネガティブなイメージで載せはじめたのが、ざっくり1900年代半ば頃だとしても、明治初期の予算配分の問題はそれよりも早くに起こっている。「歴史は繰り返す」という諺もあるし、こうした内因性のリスクみたいなものを自覚できて大変勉強になった。著者は80年代生まれの若手研究者。ぜひ、今後も著書を読みたい。
2020年4月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
海軍善玉論と陸軍悪玉論という言葉を目にする。戦前の日本は陸軍が戦争への道を開き、海軍は止めにはいった。しかし止めきれずにあの戦争に突入した。果たして、事実だろうか?事実としたらどこまで事実なのだろう?
幕末から明治にかけ、全くゼロの状態から建軍が始まった帝国海軍。四方を海に囲まれ、海軍の本分を発揮するには多額の予算が必要だったが、当時の国力では予算獲得は至難の業だった。特に1907年の帝国国防方針で、海軍の仮想敵国が米国と設定されてからは、さらに自らの組織としてのの本分を研究し、遂行するために多額の予算獲得を目指す、一官僚機構としては、至って健全な組織であった。
だが、予算獲得を至上業務に設定するあまり、政党政治崩壊後は陸軍や内閣に引きずられた。対米戦の決意という段階に至った時、事実上最終判断がゆだねられてしまった。対米戦が可能、とはとても答えられないが、不可能と答えると、過去の予算獲得の経緯や海軍の存在意義が問われかねない。あいまいな返答とならざるを得なかった。
悪玉善玉という理屈ではなく、単に一官僚機構としてストイックな姿勢。これが戦前海軍そして戦前日本の政府の姿だっただろう。
幕末から明治にかけ、全くゼロの状態から建軍が始まった帝国海軍。四方を海に囲まれ、海軍の本分を発揮するには多額の予算が必要だったが、当時の国力では予算獲得は至難の業だった。特に1907年の帝国国防方針で、海軍の仮想敵国が米国と設定されてからは、さらに自らの組織としてのの本分を研究し、遂行するために多額の予算獲得を目指す、一官僚機構としては、至って健全な組織であった。
だが、予算獲得を至上業務に設定するあまり、政党政治崩壊後は陸軍や内閣に引きずられた。対米戦の決意という段階に至った時、事実上最終判断がゆだねられてしまった。対米戦が可能、とはとても答えられないが、不可能と答えると、過去の予算獲得の経緯や海軍の存在意義が問われかねない。あいまいな返答とならざるを得なかった。
悪玉善玉という理屈ではなく、単に一官僚機構としてストイックな姿勢。これが戦前海軍そして戦前日本の政府の姿だっただろう。
2015年1月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、海軍の辿った歴史を振り返るながら、海軍の組織的特徴を
以下であったと指摘する。
・志願兵による少数精鋭の理系エリートであり、国防に対する職務を
厳格かつ強力に遂行しようする組織。
・陸軍に対する強力な対抗意識を持つ集団。
・伝統的に、政治と軍務を分け考え自らの職責を軍事とい「専門性」に
限定し、政治への干渉は厳に慎む組織。
そのような海軍が、なぜ時に政党政治を揺さぶることを辞さず、かつ
陸軍の独断行動を抑止せず、または協調するような行動をとったのか。
本書は、海軍の建軍からの歴史や組織的特徴等を陸軍のそれと対比
しがら、これに対する答えを探る。
そして本書では、軍事という「専門性」に忠実な組織が、その組織目的
に忠実でありすぎたことが、海軍自身も自覚しない政治干渉と陸軍独走
を助長した、としている。
そうであるなら、「戦争とは、他の手段をもってする政治の継続である」
と言ったクラウゼビッツは、当時の日本帝国海軍をどう評価したであろうか。
そんなことも、本書を読みながら思い至った。
なお、本書も引用しているが、この領域に興味がある読者には
「海軍と日本」池田清著(中公新書)も是非一読を薦めたい。
20歳の海軍中尉として生き残った著者が、「なぜ海軍は戦争を止められ
なかったのか」という自らの強烈な問題意識から書かれた一冊である。
あくまで個人の感想だが、この書物に比べると、本書の分析は若干「淡泊」な
感が否めなかった。
以下であったと指摘する。
・志願兵による少数精鋭の理系エリートであり、国防に対する職務を
厳格かつ強力に遂行しようする組織。
・陸軍に対する強力な対抗意識を持つ集団。
・伝統的に、政治と軍務を分け考え自らの職責を軍事とい「専門性」に
限定し、政治への干渉は厳に慎む組織。
そのような海軍が、なぜ時に政党政治を揺さぶることを辞さず、かつ
陸軍の独断行動を抑止せず、または協調するような行動をとったのか。
本書は、海軍の建軍からの歴史や組織的特徴等を陸軍のそれと対比
しがら、これに対する答えを探る。
そして本書では、軍事という「専門性」に忠実な組織が、その組織目的
に忠実でありすぎたことが、海軍自身も自覚しない政治干渉と陸軍独走
を助長した、としている。
そうであるなら、「戦争とは、他の手段をもってする政治の継続である」
と言ったクラウゼビッツは、当時の日本帝国海軍をどう評価したであろうか。
そんなことも、本書を読みながら思い至った。
なお、本書も引用しているが、この領域に興味がある読者には
「海軍と日本」池田清著(中公新書)も是非一読を薦めたい。
20歳の海軍中尉として生き残った著者が、「なぜ海軍は戦争を止められ
なかったのか」という自らの強烈な問題意識から書かれた一冊である。
あくまで個人の感想だが、この書物に比べると、本書の分析は若干「淡泊」な
感が否めなかった。
2023年5月5日に日本でレビュー済み
海軍が善玉だったのか、という議論は、すでに池田清の『海軍と日本』でなされている。購読するならば、まず『海軍と日本』にするべきだろう。
2015年2月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
若き才能。初級レベルの日本史知識があれば、さらりよ読みこなせそう。文才あり。
2015年1月29日に日本でレビュー済み
本書の特徴は「日本海軍の意識構造を説明する際の、政治と軍事
の棲み分け意識と執行責任によって構成される管掌範囲認識」と
いう視点で読み解くことに特徴があります。
文体も平易で興味深く読み進めました。
著者は以下の通り説明します。
・日本海軍は伝統的に政治に口を出すことに慎重であった。
・日本海軍は専門の管掌責任を重視した。
・日本海軍は海軍軍事についての専門家として自負もっていた。
それはそれで当たっていると思います。
しかし、米内光政は日中戦争のトラトマン工作を打ち切るなど、
海軍は時に政治的な動きをしている事例も多多あります。
陸軍の参謀次長の多田駿が熱涙をもって事変拡大に反対した事実
もあります。
以外にもこの時は陸軍の参謀本部が交渉継続を主張しています。
又、開戦時の海軍第一委員会のメンバーは非常に政治的な動きを
して日本を対米戦争へと引っ張っています。
私からみれば「日本海軍は少し残念に」感じます。
建艦に必要な膨大な予算獲得には血眼にある半面、
海軍自信が一番解っている「対米戦争はできない」という意志表示を
明確に表明する意志の強さがみられないのです。
日本海軍は自分の利害には口を挟み、重要な国策決定には自分の管掌範囲
ではない、と逃げてしまう弱さが見えてしまいます。
自分の担当範囲の責任を追及されるのを極度に恐れています。
正に状況によって論理を使い分けるダブルスタンダードです。
もう少し海軍高官に意志の強さが日本海軍にあれば、と思います。
(開戦時の及川古志郎などは無責任に開戦を決定しています)
特に、日本海軍軍令部は海軍軍事の専門家を意識しすぎて国家戦略全体の
視点が余り見られないのは残念です。
現代の政治や官庁にも「日本海軍の体質」を当てはめて分析し現代の日本
に生かそうとするようとする著者の意図は良く理解できます。
日本海軍の体質や教育についての切り込みがやや浅い印象を持ちました。
体質や教育や特性について、日本海軍を多面的に理解するには
池田清先生の「海軍と日本」を併せて読むと理解が深まると思います。
の棲み分け意識と執行責任によって構成される管掌範囲認識」と
いう視点で読み解くことに特徴があります。
文体も平易で興味深く読み進めました。
著者は以下の通り説明します。
・日本海軍は伝統的に政治に口を出すことに慎重であった。
・日本海軍は専門の管掌責任を重視した。
・日本海軍は海軍軍事についての専門家として自負もっていた。
それはそれで当たっていると思います。
しかし、米内光政は日中戦争のトラトマン工作を打ち切るなど、
海軍は時に政治的な動きをしている事例も多多あります。
陸軍の参謀次長の多田駿が熱涙をもって事変拡大に反対した事実
もあります。
以外にもこの時は陸軍の参謀本部が交渉継続を主張しています。
又、開戦時の海軍第一委員会のメンバーは非常に政治的な動きを
して日本を対米戦争へと引っ張っています。
私からみれば「日本海軍は少し残念に」感じます。
建艦に必要な膨大な予算獲得には血眼にある半面、
海軍自信が一番解っている「対米戦争はできない」という意志表示を
明確に表明する意志の強さがみられないのです。
日本海軍は自分の利害には口を挟み、重要な国策決定には自分の管掌範囲
ではない、と逃げてしまう弱さが見えてしまいます。
自分の担当範囲の責任を追及されるのを極度に恐れています。
正に状況によって論理を使い分けるダブルスタンダードです。
もう少し海軍高官に意志の強さが日本海軍にあれば、と思います。
(開戦時の及川古志郎などは無責任に開戦を決定しています)
特に、日本海軍軍令部は海軍軍事の専門家を意識しすぎて国家戦略全体の
視点が余り見られないのは残念です。
現代の政治や官庁にも「日本海軍の体質」を当てはめて分析し現代の日本
に生かそうとするようとする著者の意図は良く理解できます。
日本海軍の体質や教育についての切り込みがやや浅い印象を持ちました。
体質や教育や特性について、日本海軍を多面的に理解するには
池田清先生の「海軍と日本」を併せて読むと理解が深まると思います。
2015年6月13日に日本でレビュー済み
本書56頁において、著者は次のように書いている。
軍部大臣現役武官制が利用されたことで内閣が流産した事例としては、一九三七年の宇垣一成内閣に陸軍が陸相を推薦しなかった際のことが有名である。また、近衛新体制運動の際に米内光政内閣が、辞職した陸相の後任を得られなかったこともあるため、軍部大臣現役武官制による倒閣は、陸軍の「伝家の宝刀」であるというイメージが強い。だが、海軍もその「伝家の宝刀」を抜いたことがあった。海軍は一九一四年に、第一次山本権兵衛内閣が総辞職し、清浦奎吾が組閣の大命を受けた際、清浦との間で海軍拡張について合意に達しなかったため、海相を推薦することを拒否し、清浦内閣を流産させたのだ。軍部大臣現役武官制によって、海軍の要求もまた、政権維持のためには無視できないものとなっていた。
さらに81頁でも、次のように書いている。
軍部大臣現役武官制によって、清浦奎吾内閣を流産に追い込むといったことはあったものの、予算の問題によって、海軍はおおむね、政党政治を否定するほどにまで政治に関わることはできていなかった。
著者が、海軍が軍部大臣現役武官制を利用して清浦奎吾内閣を流産に追い込んだと信じ込んでいるのは疑いようがない。しかし言うまでもないことだが、大正政変で第三次桂太郎内閣が倒れた後の第一次山本権兵衛内閣で、軍部大臣の補任資格を現役将官に限るとの規定は削除されて軍部大臣現役武官制は廃止され、これが復活するのは二・二六事件後の広田弘毅内閣においてである。
軍部大臣現役武官制という日本政軍関係史の基本事項について、この程度の知識しか持っていない人間に、「海軍は『善玉』だったのか? 日本海軍の『政治責任』を検証する」(本書の帯より)ことなど、して欲しくない。
東北大学大学院は、軍部大臣現役武官制の歴史についての知識も持ち合わせない人間に、日本海軍に関する政治史の「研究」で博士号を出してしまったことについて、「製造物責任」を負うべきであろう。
軍部大臣現役武官制が利用されたことで内閣が流産した事例としては、一九三七年の宇垣一成内閣に陸軍が陸相を推薦しなかった際のことが有名である。また、近衛新体制運動の際に米内光政内閣が、辞職した陸相の後任を得られなかったこともあるため、軍部大臣現役武官制による倒閣は、陸軍の「伝家の宝刀」であるというイメージが強い。だが、海軍もその「伝家の宝刀」を抜いたことがあった。海軍は一九一四年に、第一次山本権兵衛内閣が総辞職し、清浦奎吾が組閣の大命を受けた際、清浦との間で海軍拡張について合意に達しなかったため、海相を推薦することを拒否し、清浦内閣を流産させたのだ。軍部大臣現役武官制によって、海軍の要求もまた、政権維持のためには無視できないものとなっていた。
さらに81頁でも、次のように書いている。
軍部大臣現役武官制によって、清浦奎吾内閣を流産に追い込むといったことはあったものの、予算の問題によって、海軍はおおむね、政党政治を否定するほどにまで政治に関わることはできていなかった。
著者が、海軍が軍部大臣現役武官制を利用して清浦奎吾内閣を流産に追い込んだと信じ込んでいるのは疑いようがない。しかし言うまでもないことだが、大正政変で第三次桂太郎内閣が倒れた後の第一次山本権兵衛内閣で、軍部大臣の補任資格を現役将官に限るとの規定は削除されて軍部大臣現役武官制は廃止され、これが復活するのは二・二六事件後の広田弘毅内閣においてである。
軍部大臣現役武官制という日本政軍関係史の基本事項について、この程度の知識しか持っていない人間に、「海軍は『善玉』だったのか? 日本海軍の『政治責任』を検証する」(本書の帯より)ことなど、して欲しくない。
東北大学大学院は、軍部大臣現役武官制の歴史についての知識も持ち合わせない人間に、日本海軍に関する政治史の「研究」で博士号を出してしまったことについて、「製造物責任」を負うべきであろう。