非常に面白かった。何が面白かったかといえば、やはり中沢新一氏の視点。「エネルゴロジー」という新しい概念を考えること。神話学、民俗学、生物学、哲学・・・と幅広い学問に精通しているからこそ、このような新しい視点を生み出すことができるのだろうか。
「エネルゴロジー」というのは、「エネルゴロジーEnergology=エネルギーの存在論」と本書では定義されている。では、その新しい知の形態というのがどのようなものかと言うと、
そうなると、生態圏の外部である太陽圏からのエネルギーの持ち込みという技術的な問題が、私たちの実存と一体になっていることがわかる。地球科学と生態学と経済学と産業工学と社会学と哲学をひとつに結合した、新しい知の形態でも生まれないかぎり、私たちがいま直面している問題に、正しい見通しをあたえることなどは、できそうにない。
ということで、「エネルゴロジー」を考えたのである。本書を読んでいただければわかるが「生態圏の外部である太陽圏からのエネルギーの持ち込みという技術的な問題」というのは原子力発電に関することを言っている。経済の視点から、心理的な視点から、政治的な視点から・・・と各々の視点でこの原発問題について語られることはあったが、このような複合的な視点で語られたことはあっただろうか。
原発が生み出された理由の中で、神話学、宗教学からの視点も非常に興味深いものがある。そのような複合的な視点で見てみると、原発の問題がより立体的にわかるとともに、その解決策もわかってくる。科学的な視点だけでは、この問題を解くことができなく右往左往している中で、中沢氏の大きな視点でみると、我々が次にやるべきことが見えてくるから不思議である。
これだけの大きな視点で見れる人というのは限られているのかもしれないが、僕たちは中沢氏の本を読む、講演を聞くことで、一瞬であってもその視点から、世界を見ることができるというのは、とても有意義なことではないだろうか。
今からあらゆる学問に精通するためには、何年、何十年の月日が必要となってくるだろう。でも、その視点を持っている中沢氏は今、現代を生きている。彼の視点を借りることで、僕たちの視点もより広く、より高く、物事を見ることができるようになるのではないだろうか。こんな視点、考え方をもつことができる人がいるなんて驚きであるとともに、人間の可能性、神秘さを感じずにはいられない。
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日本の大転換 (集英社新書) 新書 – 2011/8/17
中沢 新一
(著)
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3.11以降の我々が進むべき道とは?
新しい「革命」へのマニフェスト
大地震と津波、そして原発の事故により、日本は根底からの転換をとげていかなければいけないことが明らかになった。元通りの世界に「復旧」させることなどはもはや出来ない。未知の領域に踏み出してしまった我々は、これからどのような発想の転換によってこの事態に対処し、「復興」に向けて歩んでいくべきなのか。原子力という生態圏外的テクノロジーからの離脱と、「エネルゴロジー」という新しい概念を考えることで、これからの日本、そしてさらには世界の目指すべき道を指し示す。
[著者情報]
中沢 新一(なかざわ しんいち)
一九五〇年山梨県生まれ。明治大学野生の科学研究所所長。著書に『チベットのモーツァルト』『森のバロック』『フィロソフィア・ヤポニカ』『緑の資本論』『カイエ・ソバージュ』『精霊の王』『僕の叔父さん 網野善彦』『アースダイバー』、共著に『憲法九条を世界遺産に』『イカの哲学』ほか多数。
新しい「革命」へのマニフェスト
大地震と津波、そして原発の事故により、日本は根底からの転換をとげていかなければいけないことが明らかになった。元通りの世界に「復旧」させることなどはもはや出来ない。未知の領域に踏み出してしまった我々は、これからどのような発想の転換によってこの事態に対処し、「復興」に向けて歩んでいくべきなのか。原子力という生態圏外的テクノロジーからの離脱と、「エネルゴロジー」という新しい概念を考えることで、これからの日本、そしてさらには世界の目指すべき道を指し示す。
[著者情報]
中沢 新一(なかざわ しんいち)
一九五〇年山梨県生まれ。明治大学野生の科学研究所所長。著書に『チベットのモーツァルト』『森のバロック』『フィロソフィア・ヤポニカ』『緑の資本論』『カイエ・ソバージュ』『精霊の王』『僕の叔父さん 網野善彦』『アースダイバー』、共著に『憲法九条を世界遺産に』『イカの哲学』ほか多数。
- 本の長さ160ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2011/8/17
- 寸法10.8 x 0.8 x 17.4 cm
- ISBN-104087206068
- ISBN-13978-4087206067
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2011/8/17)
- 発売日 : 2011/8/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 160ページ
- ISBN-10 : 4087206068
- ISBN-13 : 978-4087206067
- 寸法 : 10.8 x 0.8 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 531,379位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、多摩美術大学芸術人類学研究所所長。思想家。著書に『チベットのモーツァルト』(サ ントリー学芸賞)、『森のバロック』(読売文学賞)、『哲学の東北』(斎藤緑雨賞)、『フィロソフィア・ヤポニカ』(伊藤整文学賞)など多数ある(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『カイエ・ソバージュ』(ISBN-10:4062159104)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年1月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人類の発明の中で原子力発電は異質である。地球の生態圏外にあるべき技術を取り込んだことがフクシマの悲劇を生んだ。原発は「小さな太陽」であり、人類の進歩は永遠という傲慢な思想に拠っている、と著者は弾劾する。原発は一神教的技術であり、多神教を基とする日本人には釈然としないと著者は感じている。原子力利用に対する新しい切り口による鋭い批判は文明批評でもある。日本人としては胸に落ちる点があるが、人類、世界という視点で原発を考えた場合はどうであろうか?ドイツの反対派、フランスの賛成派は原発そのものを「神」との対比のなかでどうみているのだろうか?第8次エネルギー革命についてもグローバルな視点が欠けていると思う。
2011年11月27日に日本でレビュー済み
人類の歴史を通史し、現在を第八エネルギー革命と位置づける。
原子力発電は、「小さな太陽」であり、光合成などを介さない無媒介の過激なエネルギーであり制御は不可能。
自然エネルギーへの転換は、新しい現実を理解するために、新しい思考法の開発が必要、いまの経済学にはこの現象を正しく理解するための科学的方法は存在しない。
第五次エネルギー革命(産業革命の時代)以降、徹頭徹尾「モダン」な思考法によって固められているため、なにか新しい現実が出現してくるとき、これまでの正統派経済学のやり方では、新しい現実そのものを否定して、古い思考法に適合する現実だけを現実として認める、という態度に陥りかねない。
「資本主義」と「原子力技術」と「一神教」は類似性が高い。
これらは外部の生態圏と切りはなし無媒介な状態で、閉鎖的な独自の活動(トーラス形状)になりやすい特徴を持つ。
第八エネルギー革命は切り離された媒介を、再び接続することである。
この外部との接続を筆者は「贈与」と呼ぶ。
資本主義やエネルギー資源や現代思想には「贈与」が枯渇している。
次世代のモデルは「贈与」との接続が不可欠であろう。
資本主義などのトーラスと、外部との接続を持つキアスム構造(インターフェース)が一体となったモデルが考えられる。
人の思考も無意識という外部に接続していくだろう、これはappleやgoogleなどが進めている方向性だろう。資本主義の命であるイノヴェーションは現代では無意識領域との境界面でしか、発生しなくなっている。「労働」によってはひきだすことができない。適度な休暇と自由な環境のなかでしか良い「贈与」はおこらない。
第一次産業は太陽と贈与変換の部分がとても大きな意味をもっているが、市場では農作物を「商品価値」に変えてしまい、正統派経済学では第一次産業は影が薄くなり、贈与的関係性がみえなくなっている。ここに贈与的関係を組み込んだ経済理論の必要性がある、原型があるとすると18世紀フランスのフランソワ・ケネーのよる「フィジオクラシー」(重農主義)がある。
日本には外部との境界には、遮断力の強い壁ではなく、透過性にすぐれたインターフェースの仕組みが設けられてきた。外部からの力を幾重にも媒介をほどこしながら、内部に取り込んでいく仕組みである。堤防の雁行構造や「里山」など。
「里山」は自然のつくり出す複雑な秩序を制圧することがないようにできている。そこでは人間が農業をおこなったが、その同じ場所で生きる動物や植物の要求をも組み込みながら、人工と自然のハイブリットな秩序を形成することをめざされた。
この文明は転換する自然の理法にたえずさらされていたものだから、「世界は無常である」、と深く実感されていたのだった。
産業革命以降の大きな変革の時期にきている、非常にゆっくり(百年単位)ではあるが確実に変化せざる負えない。この変化を既存の思考法に捕われることなく見極めなければ、混乱は長びくのではないだろうか。キーワードは「贈与」を取り込むということなんだろうなあ。
原子力発電は、「小さな太陽」であり、光合成などを介さない無媒介の過激なエネルギーであり制御は不可能。
自然エネルギーへの転換は、新しい現実を理解するために、新しい思考法の開発が必要、いまの経済学にはこの現象を正しく理解するための科学的方法は存在しない。
第五次エネルギー革命(産業革命の時代)以降、徹頭徹尾「モダン」な思考法によって固められているため、なにか新しい現実が出現してくるとき、これまでの正統派経済学のやり方では、新しい現実そのものを否定して、古い思考法に適合する現実だけを現実として認める、という態度に陥りかねない。
「資本主義」と「原子力技術」と「一神教」は類似性が高い。
これらは外部の生態圏と切りはなし無媒介な状態で、閉鎖的な独自の活動(トーラス形状)になりやすい特徴を持つ。
第八エネルギー革命は切り離された媒介を、再び接続することである。
この外部との接続を筆者は「贈与」と呼ぶ。
資本主義やエネルギー資源や現代思想には「贈与」が枯渇している。
次世代のモデルは「贈与」との接続が不可欠であろう。
資本主義などのトーラスと、外部との接続を持つキアスム構造(インターフェース)が一体となったモデルが考えられる。
人の思考も無意識という外部に接続していくだろう、これはappleやgoogleなどが進めている方向性だろう。資本主義の命であるイノヴェーションは現代では無意識領域との境界面でしか、発生しなくなっている。「労働」によってはひきだすことができない。適度な休暇と自由な環境のなかでしか良い「贈与」はおこらない。
第一次産業は太陽と贈与変換の部分がとても大きな意味をもっているが、市場では農作物を「商品価値」に変えてしまい、正統派経済学では第一次産業は影が薄くなり、贈与的関係性がみえなくなっている。ここに贈与的関係を組み込んだ経済理論の必要性がある、原型があるとすると18世紀フランスのフランソワ・ケネーのよる「フィジオクラシー」(重農主義)がある。
日本には外部との境界には、遮断力の強い壁ではなく、透過性にすぐれたインターフェースの仕組みが設けられてきた。外部からの力を幾重にも媒介をほどこしながら、内部に取り込んでいく仕組みである。堤防の雁行構造や「里山」など。
「里山」は自然のつくり出す複雑な秩序を制圧することがないようにできている。そこでは人間が農業をおこなったが、その同じ場所で生きる動物や植物の要求をも組み込みながら、人工と自然のハイブリットな秩序を形成することをめざされた。
この文明は転換する自然の理法にたえずさらされていたものだから、「世界は無常である」、と深く実感されていたのだった。
産業革命以降の大きな変革の時期にきている、非常にゆっくり(百年単位)ではあるが確実に変化せざる負えない。この変化を既存の思考法に捕われることなく見極めなければ、混乱は長びくのではないだろうか。キーワードは「贈与」を取り込むということなんだろうなあ。
2011年9月11日に日本でレビュー済み
「エネルゴロジー」「キアスムの構造」「リムランド文明」・・
相変わらず新しげなコピーを作り出して(あるいはどこかから
都合良く取って来て)、実は単純な話を、さも複雑で中身ありげに
見せかける才能だけは、見事なものだと思う。
本書の目立った特徴として、「構造が似ている」だけの現象が、
いつの間にか「まったく同じ構造を持つ」ことにすり替えられて
しまうことが挙げられる。一神教、資本主義、原子力発電の間に、
強い類似性が見られるのは確かだとしても、同時に存在するはずの
差異についてはほとんど触れられないまま、それらをひたすら
「類推=アナロジー」でつなぎ合わせることだけで叙述が展開して
いくので、華麗なレトリックがかえって逆効果を生み出しており、
どこか根本的に胡散臭いという印象を拭い切れないのだ。
ちなみにこの書き方は意識的なもののはずで、本書pp.91-92では、
「人間の心はアナロジーの機構によってつくられている。(中略)
矛盾のない、明確な概念だけを組み合わせて、私たちは思考していない。
具体性の世界はインターフェイス構造を働かせながら、つくりだされている。」
と述べられているが、この言い方には問題が2点あると思う。
ひとつは、これは本質的に「ブリコラージュ」の思考法であり、
中沢自身が内田樹との対談で、「日本人はブリコラージュで原発事故に
対応しようとしたがうまく行かなかった」と、やや揶揄的に述べていること。
もうひとつは、本書が公共圏での議論を目的として書かれている以上、
まずはやはり明確な概念だけを組み合わせた言説を提出すべきであり、
用語の定義も曖昧なままいきなり跳んでしまう中沢のやり方は、明白な
ルール違反だと思われること。(あらかじめ逃げ道を残しているようにも見える。)
それ以外では、以下のような点も気になった。
仏教についての思想的掘り下げがほとんどなされないまま、
・一神教の超越的原理を否定して、「中庸」を重んじる。
・どこの世界でも神道のような自然宗教と折り合いがいい。
という2点だけから、来るべきエネルギー技術に対応する叡智である、
と唐突に持ち上げられていること(pp.66-67)。近年の中沢の著作では、
仏教の歴史性がほとんど無視されているが、そのような仏教は、
中沢にとっての「統整的理念」としてしか存在しないように思われる。
日本文明について、「このリムランド型の文明は、グローバル経済や
原子力発電とは、もともとが異質な本性を持っていたのである」(p.97)
とされるが、資本主義が誕生した北西ヨーロッパもまた、地政学的には
リムランドにあたるはずで、そのことを一切無視したまま「日本の進む
べき道」を提示されても、残念ながら納得するのは難しい。
相変わらず新しげなコピーを作り出して(あるいはどこかから
都合良く取って来て)、実は単純な話を、さも複雑で中身ありげに
見せかける才能だけは、見事なものだと思う。
本書の目立った特徴として、「構造が似ている」だけの現象が、
いつの間にか「まったく同じ構造を持つ」ことにすり替えられて
しまうことが挙げられる。一神教、資本主義、原子力発電の間に、
強い類似性が見られるのは確かだとしても、同時に存在するはずの
差異についてはほとんど触れられないまま、それらをひたすら
「類推=アナロジー」でつなぎ合わせることだけで叙述が展開して
いくので、華麗なレトリックがかえって逆効果を生み出しており、
どこか根本的に胡散臭いという印象を拭い切れないのだ。
ちなみにこの書き方は意識的なもののはずで、本書pp.91-92では、
「人間の心はアナロジーの機構によってつくられている。(中略)
矛盾のない、明確な概念だけを組み合わせて、私たちは思考していない。
具体性の世界はインターフェイス構造を働かせながら、つくりだされている。」
と述べられているが、この言い方には問題が2点あると思う。
ひとつは、これは本質的に「ブリコラージュ」の思考法であり、
中沢自身が内田樹との対談で、「日本人はブリコラージュで原発事故に
対応しようとしたがうまく行かなかった」と、やや揶揄的に述べていること。
もうひとつは、本書が公共圏での議論を目的として書かれている以上、
まずはやはり明確な概念だけを組み合わせた言説を提出すべきであり、
用語の定義も曖昧なままいきなり跳んでしまう中沢のやり方は、明白な
ルール違反だと思われること。(あらかじめ逃げ道を残しているようにも見える。)
それ以外では、以下のような点も気になった。
仏教についての思想的掘り下げがほとんどなされないまま、
・一神教の超越的原理を否定して、「中庸」を重んじる。
・どこの世界でも神道のような自然宗教と折り合いがいい。
という2点だけから、来るべきエネルギー技術に対応する叡智である、
と唐突に持ち上げられていること(pp.66-67)。近年の中沢の著作では、
仏教の歴史性がほとんど無視されているが、そのような仏教は、
中沢にとっての「統整的理念」としてしか存在しないように思われる。
日本文明について、「このリムランド型の文明は、グローバル経済や
原子力発電とは、もともとが異質な本性を持っていたのである」(p.97)
とされるが、資本主義が誕生した北西ヨーロッパもまた、地政学的には
リムランドにあたるはずで、そのことを一切無視したまま「日本の進む
べき道」を提示されても、残念ながら納得するのは難しい。
2015年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現代社会システムに飲み込まれた生き方をしていると最初は違和感しか残らないかもしれません。
今の社会に違和感を持っている方なら、理解がし易いかもしれません。
自分は脱サラして自然(完全な自然とは言えないけれども)の中で農家という生き方を選択しましたが、自然からの恩恵をあまり意識していませんでした。
この作品は、農家になっても気づいていなかった太陽を大元とする自然からの贈与によって生かされていること思い出させてくれました。
太陽からの無償の贈与を忘れたまま現在の社会経済が動いているためにいろいろな歪が生じているのだということを教えてくれていると思います。
また、この本では原子力発電を新たな視点で紹介してくれていて、しかも合点がいきます。そういう意味でも、一読に値する作品です。
今の社会に違和感を持っている方なら、理解がし易いかもしれません。
自分は脱サラして自然(完全な自然とは言えないけれども)の中で農家という生き方を選択しましたが、自然からの恩恵をあまり意識していませんでした。
この作品は、農家になっても気づいていなかった太陽を大元とする自然からの贈与によって生かされていること思い出させてくれました。
太陽からの無償の贈与を忘れたまま現在の社会経済が動いているためにいろいろな歪が生じているのだということを教えてくれていると思います。
また、この本では原子力発電を新たな視点で紹介してくれていて、しかも合点がいきます。そういう意味でも、一読に値する作品です。