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バイオポリティクス: 人体を管理するとはどういうことか (中公新書 1852) 新書 – 2006/6/25

3.9 5つ星のうち3.9 8個の評価

人の命はいつはじまるのか−−この問いがアメリカで大統領選挙の争点となり、ヨーロッパで法制化が急がれる原因となっているのはなぜか。臓器移植や人体商品の売買が南北問題を激化させ、韓国で起きた科学史上稀に見るスキャンダルも、そうした動きの一例として位置づけられる。今や生命倫理は政治問題となったのだ。生命を巡る急速な技術革新と人類の共通感情とのあいだにあるギャップを埋めるために必要な視座を提示する。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社 (2006/6/25)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2006/6/25
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 271ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4121018524
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121018526
  • カスタマーレビュー:
    3.9 5つ星のうち3.9 8個の評価

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米本 昌平
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上位レビュー、対象国: 日本

2017年1月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 本書は、20世紀に成立した既存のバイオエシックス(生命倫理)をできるだけ相対化しつつ、生命科学研究に巨額の資金が投入されるようになったこと現れてきた新しい問題の形を、「バイオポリティクス」として論じようとするものである。
 章立ては以下の通り。

 プロローグ「ES細胞捏造事件」
 1「バイオポリティクス――身体政治革命」
 2「科学革命としてのヒトゲノム解読」
 3「バイオバンクとは何か」
 4「ヒト胚の政治学――クローンとES細胞研究」
 5「人体部分の商品化」
 6「欧州的秩序の確立」
 終章「人体保護庁の誕生」

 本書によれば、現在、自然科学の研究フロンティアが物理科学という「外なる自然」から、人体という「内なる自然」へと照準が移ったという。本書での「バイオポリティクス」とは、フーコーの議論を視野に置きつつも、そうした「内なる自然」を対象とする先端医療や生物技術に関する政策論について論じるものである。これらは、「自己決定」を基礎にした医者‐患者関係の倫理学である既存のバイオエシックスでは解決が困難なものである。また、バイオエシックスは、暗黙の裡に先進国的諸価値観を前提とするものであり、それはキリスト教的諸価値観と共鳴関係をもち、アジア諸国の価値観と落差がある。
 以上のような問題関心のもと、ヒトゲノム研究、バイオバンク構想、ヒト胚研究、医療サービスなど、各国の政策や議論を取り上げる。この分野の研究は現在ではさらに進んでおり、本書の内容はやや古いものが含まれるかもしれない。また、キリスト教価値観とそれに対するアジアという二項対立的な議論はあまりに単純的、画一的過ぎる印象がある。しかし、論述は明快で読みやすく、勉強になる。一読を勧めたい。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2007年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
バイオポリティクスという言葉が暫く気にかかっていましたが、人体・生命・人権に関わる事柄が世界中でどのように取り扱われてきているかを概括してくれる本でした。

BSEや遺伝子組み換え作物だけでなく、臓器移植・体外受精・生命の始まりと終わり、人間とは何かを今こそ深く考える必要性が分かります。

生命科学は我々の社会を想像を絶する形に変えてしまう可能性が合り、そのためには社会全体で人間や生命を根本から考える必要が理解できました。

現代人に高度な知的活動と社会的な責任を感じさせてくれる本です。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年9月17日に日本でレビュー済み
 著者は「バイオポリティクス」という用語をフーコー起源としつつも、本書の主題であるゲノム学はフーコー的射程を超えると主張する。20C遺伝学が表現型から出発し、交配実験を通じて遺伝型仮説を検証する知だったのと類比的に、フーコー的生政治は人口政策と公衆衛生上の人体的自然を問題とし、プライバシーの領域に関わった。対して21Cゲノム学は解読された遺伝型から出発し、環境的要因にも配慮しつつ表現型との統計的相関性を検証する(p20、p45など)。

 こうして現出した「ゲノム的自然」とも呼ぶべき領域に対応して、著者は新たな生命倫理を要請する。それに際し著者は自己決定論を柱とする米国流ではなく、当事者の意思とは独立に、この新たな自然を「公権力=市民的統制」の下に置く欧州的方向性に共感を示している(p243)。

 ただしその一方、著者はキリスト教倫理を基盤とする欧米的価値観への「過適応」を戒め、「自らの根底に流れる心情的価値」に言及する(p253)。法王庁生命科学アカデミーの宣言についても「排卵後のヒト受精卵は直径わずか〇・二ミリメートル」であり、そんな「不可視の存在」が「これほど政治問題化」する文脈は特殊だと強調する(p141)。この点については、私としては異論がある。

 加えて日本における生命倫理研究の立ち遅れ、政策官僚と研究者の怠慢・癒着を批判した件りで「独立したシンクタンク群を社会の側がもつ」(p261)べきと主張するのは、著者の立場からして当然とは思いつつ、あとがきでの三菱化成生命科学研究所への手放しの礼賛と絡めて、素直に頷きにくいものを感じた。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年9月9日に日本でレビュー済み
 クローン羊ドリーの誕生以降、日本でも生命倫理という言葉が脚光を浴びるようになり、最近では韓国の黄教授をめぐるES細胞捏造疑惑が生命倫理上の問題も絡めてマスコミを賑わしていた。

 受精卵を用いるES細胞はヒトの始まり、そして死体を用いる臓器移植はヒトの終わりとそれぞれ密接に関わっている。しかし、どの時点で(生あるいは死の)線を引くのかという問題については、政治や宗教、そして時代や個人の価値観などが複雑かつ微妙に絡み合っており、簡単に答えを出すことはできない。

 本書では「バイオポリティクス」の標題どおり、ES細胞を中心とした生命倫理上の諸問題について各国の比較、対応が丹念に述べられている。

 本書の刊行後、京都大学のグループは、マウスの皮膚細胞に遺伝子を組み込むことで、受精卵を用いることなくES細胞に似た新種の万能細胞を作り、神経や心臓の筋肉などに育てることに成功したと発表した。

 新たな技術の開発が生命倫理上の問題を提起し、その問題を解決するさらなる技術が登場する。私たちには、技術の暴走あるいは倫理による過度の萎縮が生じないよう、冷静に判断していく目が求められている。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年5月23日に日本でレビュー済み
 最近、低俗・低レベルな新書が多い中で、本書こそが真にpublishing qualityを持つ真っ当な新書であろう。尊敬する米本先生(そう言えば数年前、東大まで会いに行ったなあ)の著作だから、当然と言えば当然なのだが。

 生命倫理学の専門外、ましてや純・文系の私には本書の100%どころか70%ですら理解出来たかどうか心もとない。けれど、本書が訴えようとしていることは今まで類書すらなかった事柄のオンパレードであることは間違いない。

 私なら論文30回分にするような内容を惜しげもなく盛り込んだ本書。先生の学者としての良心を感じさせる。「遺伝子組み換え食品は自然科学の問題ではない」という一言には安心。そうか、あれはやっぱり気持ちの問題なんだな。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年8月19日に日本でレビュー済み
遺伝子組換え食品、ES細胞、ヒトクローン、臓器売買など、技術が進みすぎて、世界共通の倫理観を持つことができなくなっている。

自己決定の米国、生命倫理の秩序の整備を目指す欧州、問題意識が希薄な日本、ノーベル賞が欲しい韓国。

それぞれの国や地域の対応や法整備と、背景にある宗教や哲学、主義などを比較している。

特に同じキリスト教を背景に持ちながら、米国と欧州の違いが顕著であり、生命や組織に対する世界的倫理観の形成が難しい現状は興味深かった。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年9月4日に日本でレビュー済み
 日米欧の先進三極でも角膜、皮膚などはNPO経由で民間ルートに流れ、巨大な市場を形成しており、それ以外の中国、インド、東欧諸国などでは腎臓バザールが事実上存在し、韓国などでも、論文を捏造した教授の元には2000個の卵子が集められたとあたりの情報は衝撃。

 時間がない方はオリフォルニアで報道された"人体仲買人"(The Body Brokers)という報道のサマライズだけを読んでもいいと思います(p.184-)。なにせ、まずNPOが遺族の前にあらわれて「火傷や怪我で苦しんでいるヒトを助けるために、皮膚や骨の一部をいただけないでしょうか」とすりよってきて、それが、上場もしているヒト組織加工会社に売られ、美容整形手術や、差し歯用のインプラントなどに使われるというですから。人体の"市場価格"は皮膚、アキレス腱、心臓弁、血管、角膜などを合わせて、最上のものでは22万ドル、通常価格では3〜5万ドルに達するというですから驚きです。さらには、インド、中国、東欧などでは、金持ちを対象とした医療目的の移植ツアーが大人気で、いまや観光も組みこまれたものになっているというですから…。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年7月3日に日本でレビュー済み
ここで言われるバイオポリティクスとは、フーコーの生‐権力論を視野に置きながらも、先端医療の革命的変革に伴う、人体資源を巡るより具体的な政治・政策論(ポリティクス)のことを指す。現代思想や生命倫理で流行りのビオスやゾーエーを巡る哲学・思想的問題設定を期待して本書を手にすれば、期待はずれとなる。著者によれば、現代は「外なる自然」から人体という「内なる自然」へという自然科学史上の一大転換期を迎えている。人体的自然が医科学の対象となり、ゲノム学に代表される21世紀の新しい生命科学研究が、パラダイム・チェンジを促す。このような状況の下では、従来のバイオエシックという枠組みは限界にある。30年前のアメリカで誕生した「バイオエシックス」は、医者‐患者関係の倫理学の延長にあり、「患者の自己決定」という概念に立脚していた。しかし、自己決定に委ねられるが故に、アメリカでは人体の商品化が進んでしまうという事態が起きる。アメリカを反面教師とした欧州は、人体管理を個人のプライバシーの問題にするのではなく、別の道をさぐる。例えば、フランスでは「人体の尊重」を謳った「人体の人権宣言」にあるように、個人の自由主義原理ではなく連帯と共同体の倫理によって人体管理を統制しようとしている。等々、この分野に無知な私には教えられることが多かった。

個人的には、バイオエシックスがアメリカの消費社会からの流れで登場したこと、それが医者‐患者関係の歴史の中に定位できること、自己決定という概念がその中でのみ有効なことなどが参考になった。全体的に、各々の問題に対する各国の政策の比較に徹していて、こうした問題にあまり興味のない人にとってはちょっと退屈するかもしれない。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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