昨夏訪れた京都宇治の萬福寺。観光客でごったがえす世界遺産の平等院からわずか数駅しか離れていないのに、大伽藍には訪れる人もまばらで、気の流れのよい寺だった。帰り際に見た句碑に「山門を出れば日本ぞ茶摘みうた」とあった。萬福寺は中国の黄檗宗の寺なので、建築も意匠もどこか大陸を感じさせるものがある。異国情緒をたっぷり味わって山門の外に出たら茶摘み歌が聞こえてきて、ああここは中国ではなく日本だった、というちょっとした興醒め感を詠んだ句である。その「ディズニーランドから出てきたら普通に千葉だったよ」みたいな可笑しみを感じてなんとなくおぼえていた。それが田上菊舎という江戸時代の女性の句だと知ったのはそれからしばらくしてからのこと。しかもその菊舎は自分と縁浅からぬ土地の人だと知ってなにか彼女のことを書いた本はないだろうかと探して手にとったのがこの本。菊舎を筆頭に幕末から明治まで11人の女性の旅を描いている。菊舎に関して言えば、22歳で夫と死別し、27歳で出家、以後40年間俳諧を世過ぎとし、日本全国を歩いた。京都では維新の志士たちとも交流をもったことから、相当危ない目にもあっている。このときだけではなかっただろう。当時の女一人旅の危険や困難は現在の比ではないと思うが、彼女には人に世話を焼いたり焼かれたりする「才能」があった。
菊舎以外では、なんといっても夫を助けて女性で初めて富士山の越冬を果たした野中千代子の話がすさまじかった。子供を親に預け、死を覚悟しての前人未踏の挑戦。また、教育顧問として蒙古王室に入り、スパイとしても活躍した河野操子のキャリアは、当時、いや現代においてもかなり特殊なものだろう。そのほか、旅芸人としてヨーロッパに渡り、自身も劇団を組織して興行を手がけたという花子の話はまさに波乱万丈。かのオーギュスト・ロダンが彫刻のモデルにし、森鴎外が彼女を題材に小説を書いたという。クーデンホーフ・光子、山野千枝子といった「セレブレイティ」の知られざる一面が書かれていて、改めて興味を持った。
それにしても彼女たちに共通しているのは、女一人で旅をする、ましてや海外に渡るなどほとんど例がなかった時代に即断即決に近いかたちで家を離れ、故郷を離れ、見ず知らずの土地に飛び込むときの思い切りのよさである。野中千代子はもう帰ってこないかもしれないという覚悟で子供を親に預けた。クーデンホーフ・光子はオーストリア人に嫁ぐことで親から勘当されている。そうまでしても行く理由があったのだ。11人の女性は夭逝した者あり、未亡人あり、子だくさんあり、生涯独身あり、お金持ちあり、貧しい者ありで、誰ひとりとして似ていない。この時代に人の行かない土地を踏み、人の見ない風景を見ることを自ら求めた女性たちにはおそらく「普通の幸せ」などという概念はなかったのだろう。自分の幸せを他人の幸」とくらべる余裕もなかったに違いない。旅する女といえば皇妃エリザベートがあまりにも有名だが、彼女が自分にふりかかる不幸から逃げるようにしてヨーロッパ中を旅する姿がある種の悲壮感に満ちているのに対し、この本に出てくる女たちは逃げるというよりも何かを追いかけ、体当たりしていっているような力強さを感じる。新書に11人分のストーリーが詰まっているのでそれぞれの話が短く、少々ものたりない。それぞれが本一冊分になるくらいの密度の濃い人生を歩んだ女たちである。
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女の旅―幕末維新から明治期の11人 (中公新書 2155) 新書 – 2012/3/23
山本 志乃
(著)
全国漂泊、京都への出奔、米国留学、富士山越冬、蒙古行などの足取りを日記、手記等から再現。時代に立ち向かった女性達の人生を描く
- 本の長さ223ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2012/3/23
- ISBN-10412102155X
- ISBN-13978-4121021557
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2012/3/23)
- 発売日 : 2012/3/23
- 言語 : 日本語
- 新書 : 223ページ
- ISBN-10 : 412102155X
- ISBN-13 : 978-4121021557
- Amazon 売れ筋ランキング: - 613,868位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2012年9月7日に日本でレビュー済み
『女の旅――幕末維新から明治期の11人』(山本志乃著、中公新書)では、幕末・維新・明治期に旅した11人の女性――田上菊舎、松尾多勢子、楢崎龍、岸田俊子、津田梅子、花子、野中千代子、クーデンホーフ光子、河原操子、山野千枝子、イサベラ・バード――が、要領よく紹介されている。
「新しい時代の息吹を確かに感じながらも、決して便利でもなければ平和でもなかった明治という時代に、山河を越え、海を渡った女たち。彼女たちの旅は、大衆化を果たしたがゆえに画一的となった現代の旅では、もはや再現されることのない冒険と輝きに満ちている。人生におきかえることができるほどの光彩を放つ旅は、便利さや手軽さとは無縁のところにある。そしてそこに、旅の普遍的な魅力が潜んでいる」という著者の言葉が、この本の魅力を的確に表現している。
11人の旅の背景は、文学、思想、流浪、政治、留学、巡業、探検、結婚、戦争、移民とそれぞれ異なるが、いずれも興味深い。
「田上菊舎――22歳で未亡人となった美濃派俳人の全国漂泊」は、40年余に亘る長期間、俳諧師として、全国を旅した女性の物語である。
「楢崎龍――龍馬妻の新婚旅行から、夫没後の上京苦譚」では、坂本龍馬と妻・龍の「日本初の新婚旅行」と、龍馬暗殺後、64歳で没するまでの龍の生涯が語られている。
「津田梅子――6歳での米国留学、日本語忘却後の苦難の日々」は、帰国後、念願であった女性の高等教育を目指す私塾「女子英学塾」(現・津田塾大学)の開設に漕ぎ着けるまでが綴られている。
「イザベラ・バード――明治初期、日本を駆け抜けた英国旅行作家」は、1877年に、東北地方から北海道にかけて3カ月の旅をし、帰国後に『日本奥地紀行』を著したイザベラ・バードの記録である。この書は、旅行中に最愛の妹に書き送った書簡がもとになっているとのことだが、無性に読みたくなってしまった。
「彼女(バード)にとって、東北の山間部を行く旅は、北海道という憧れの『未踏の地』へ向かうための過程にすぎなかった。が、おそらくこの旅を終えた後、その過程にこそ『本当の日本』があったことに彼女自身気がついたはずである」という指摘に、著者自身の旅への思いが込められていると思う。
「新しい時代の息吹を確かに感じながらも、決して便利でもなければ平和でもなかった明治という時代に、山河を越え、海を渡った女たち。彼女たちの旅は、大衆化を果たしたがゆえに画一的となった現代の旅では、もはや再現されることのない冒険と輝きに満ちている。人生におきかえることができるほどの光彩を放つ旅は、便利さや手軽さとは無縁のところにある。そしてそこに、旅の普遍的な魅力が潜んでいる」という著者の言葉が、この本の魅力を的確に表現している。
11人の旅の背景は、文学、思想、流浪、政治、留学、巡業、探検、結婚、戦争、移民とそれぞれ異なるが、いずれも興味深い。
「田上菊舎――22歳で未亡人となった美濃派俳人の全国漂泊」は、40年余に亘る長期間、俳諧師として、全国を旅した女性の物語である。
「楢崎龍――龍馬妻の新婚旅行から、夫没後の上京苦譚」では、坂本龍馬と妻・龍の「日本初の新婚旅行」と、龍馬暗殺後、64歳で没するまでの龍の生涯が語られている。
「津田梅子――6歳での米国留学、日本語忘却後の苦難の日々」は、帰国後、念願であった女性の高等教育を目指す私塾「女子英学塾」(現・津田塾大学)の開設に漕ぎ着けるまでが綴られている。
「イザベラ・バード――明治初期、日本を駆け抜けた英国旅行作家」は、1877年に、東北地方から北海道にかけて3カ月の旅をし、帰国後に『日本奥地紀行』を著したイザベラ・バードの記録である。この書は、旅行中に最愛の妹に書き送った書簡がもとになっているとのことだが、無性に読みたくなってしまった。
「彼女(バード)にとって、東北の山間部を行く旅は、北海道という憧れの『未踏の地』へ向かうための過程にすぎなかった。が、おそらくこの旅を終えた後、その過程にこそ『本当の日本』があったことに彼女自身気がついたはずである」という指摘に、著者自身の旅への思いが込められていると思う。
2012年3月27日に日本でレビュー済み
本書は江戸末期から明治期にかけて活躍した11名の女性の生き様を、旅という観点から紹介している。
のっぴきならない事情が彼女たちに旅を強いたわけである。
旅というよりは、むしろ移動と言った方がいいかもしれない。
それぞれの章をひと言でまとめると、俳人の全国漂流、勤王の女志士、坂本龍馬との新婚旅行、女弁士の全国遊説、米国留学、旅芸人のヨーロッパ、富士山気象観測、オーストリア伯爵夫人としての生涯、蒙古王室の教育顧問、ブロードウェー美容修行、英国作家の日本紀行となる。
これらの11の物語のうち、唯一旅と呼べるのはイギリス人旅行作家イザベラ・バードが日本の東北地方から北海道を巡った苦難の旅である。帰国後、イザベラは『日本奧地紀行』を発刊し評判となった。
その後、日本に数回訪れ、中国や韓国にも足を伸ばしている。
本書に綴られているのは、男尊女卑の世の中にあって、女性というハンディキャップと戦いながらたくましく生きた女性たちの物語である。
余談であるが、韓国で発刊されたイザベラ・バードの『韓国紀行』は、韓国にとっての不利な箇所が削除され、ソウルは東洋一清潔な町であると改竄されているらしい。
のっぴきならない事情が彼女たちに旅を強いたわけである。
旅というよりは、むしろ移動と言った方がいいかもしれない。
それぞれの章をひと言でまとめると、俳人の全国漂流、勤王の女志士、坂本龍馬との新婚旅行、女弁士の全国遊説、米国留学、旅芸人のヨーロッパ、富士山気象観測、オーストリア伯爵夫人としての生涯、蒙古王室の教育顧問、ブロードウェー美容修行、英国作家の日本紀行となる。
これらの11の物語のうち、唯一旅と呼べるのはイギリス人旅行作家イザベラ・バードが日本の東北地方から北海道を巡った苦難の旅である。帰国後、イザベラは『日本奧地紀行』を発刊し評判となった。
その後、日本に数回訪れ、中国や韓国にも足を伸ばしている。
本書に綴られているのは、男尊女卑の世の中にあって、女性というハンディキャップと戦いながらたくましく生きた女性たちの物語である。
余談であるが、韓国で発刊されたイザベラ・バードの『韓国紀行』は、韓国にとっての不利な箇所が削除され、ソウルは東洋一清潔な町であると改竄されているらしい。